蒼の国-TS Version/Silent Morning- |
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次の朝、紫月は仕事で訪れたテレビ局のロビーで一腹していると馴染みの編集者に声を掛けられた。
「一之宮さん!昨日は大丈夫でした?」
何のことかと不思議そうな顔をすると編集者は心配そうに尋ねた。
「ほら、昨日お宅の社でFairyの子が具合悪くなって。粟津さんが心配そうにどこかに付き添って
行かれましたけど。確かドラムスの、柊君でしたっけ?あれからどうしたかと思って。」
紫月は一瞬視線が固まったようになったが、すぐに我に返るとわざと落ち着いた様子で答えた。
「ああそのことですか。大丈夫、ただの疲れですよ、ロケから戻ったばかりでしてね、ご心配を
おかけしてすみませんです。」
そう言うと編集者はにっこりと笑ってそれはよかったですと微笑んで
「じゃあお大事に!」
そう言って忙しそうに去って行った。
その後ろ姿を見送りながら紫月の瞳は冷たく色を失くしていった。
倫が?帝斗と、、、?
何かあったのか、昨日、あれから、、、
褐色の瞳を冷たく輝かせながら紫月は社に戻った。
昨日ロケから戻ったばかりだったがもう次のコンサートツアーのリハーサルで朝早くからスタジオ
入りしていたFairyの様子を遠くから伺いながら紫月は倫周の様子を探った。
昨日冷たく突き放して恐らくは精神が追い詰められているはずの倫周の顔色が妙にいいのと
比較的冴え渡るドラムの音に紫月はやはり妙だと疑問を感じていた。
やっぱり帝斗と何かあったのか?
益々冷たさを増した褐色の瞳が倫周を追いかけてリハーサルが終わると紫月は誰にも気付かれ
ないように倫周の後を付けた。
人気のない廊下に差し掛かったところで紫月は倫周を捕まえて。
「倫」
紫月は使用していないひっそりとしたスタジオに倫周を引っ張り込むとその瞳を覗き込んだ。
僅かに攻撃の色を映し出して大きな瞳が紫月を捉える。焦る気持ちを押し包むようにして平静を
装いながら紫月はやさしく話し掛けた。
「倫、昨日はどうして帰っちゃったんだ?お前が待っていてくれるものとばかり思って俺は急いで
帰ったのに、何処に行ってたんだ?」
本当は昨夜も部屋に帰ってなどいなかったが探るようにかまをかけた。
ぎゅっと唇を噛み締めて抗議の視線が紫月を睨み付け、明らかに意地を張っているように
倫周は何も言わなかった。やっぱり帝斗と何かあったのだろうか、紫月の心に怒りとも焦りともつか
ない気持ちが湧きあがる。それでも気持ちを押しとどめながら紫月は言った。
「怒ってるのか?悪かったよ倫、でも仕事でどうしようもなかったんだよ、もう許して口をきいてくれ?」
細い肩をつかみながらやさしく話し掛けたが、倫周はぷいっと横を向いてしまった。
おかしい、、、本当ならこうして触れられるだけで身体が流されてくるはずなのにこの平然とした
様子は何だ。やっぱり帝斗が何かしたっていうのか?
嫌な予感を押し殺しながら試すように紫月は倫周にくちつ゛けた。
「うっ、、、やだ、、やめてよっ、、、!」
やっと口を開いたもののその瞳は抗議の色で溢れ返っていた。
「倫っ、何をそんなに怒ってるんだ、いい加減にしないかっ、、!」
やはり焦っていたのかそんなことをするつもりではなかったが、苛々とした気持ちを抑えきれずに紫月は
ぱんっ、と倫周の頬を叩いた。一瞬、驚きと怒りと哀しみが入り混じったような表情を浮かべると、
じわりと滲んだ涙を振り切るように倫周は狭いスタジオの中に隠れるように逃げ出した。
「待てよっ、倫っ」
紫月は半ば強引に細い身体を捕まえると自らも焦りに驚愕の表情を映し出しながら潤んだ瞳を
覗き込むと。
「倫、、?」
暗さに目が慣れてきて、うっすらとその表情を確認した。白い頬が濡れている?
「倫?泣いてるのか、、?」
細い肩を震わせながら倫周はこらえ切れずに涙を流していた。昨日からの出来事が次々と蘇って
くる毎にその時の感情をもが思い出されて止まらなくなるようで。孤独な寂しさが身を引き裂くよう
で倫周の心はちぎれそうになっていた。
「、、、うっ、、、んっ、、、」
声にならない声を押し殺すように倫周はすすり泣いていて。
「悪かった、俺が悪かったよ倫、ごめんな。」
そう言うと紫月はぎゅっと倫周をその胸に抱き締めた。
「し、つ゛き、、紫月、紫月っ、、!」
自分の胸の中で泣きじゃくる倫周を支えるようにしながら紫月は自室に向かった。
その心にまだ疑惑をかかえながら、瞳は冷たく沈ませながら。
ベッドに着くと紫月は今までしたこともないようなやわらかな愛撫で倫周の身体を解していった。
甘くやさしい言葉を降り注ぎながら。
どういった形にせよ、このまま自分を慕ってくるこの若者を愛しんでしまえたなら2人は救われた
かも知れないのに、こんなになって尚憎しみを捨て切れなかったのは紫月にとっても又不幸で
あった。このときに全てを水に流してほんの少し素直になれたならこの後の紫月にとっても
平穏な日々を手にできただろうに、どうしても紫月はやめられなかった。倫周に対する憎しみを
捨て切れなかった。何がそれ程までに紫月の心を追い込んでしまっていたのか?そんなことは
わかるはずもなかったのである。
それは帝斗に対する愛情のせいなのか、或いは自分を裏切って倫周に走った帝斗の心変わり
を認めたくなかったのか。本当は怖かっただけなのかもしれない、帝斗が自分を捨てて倫周に
走ってしまったことが、一人取り残される孤独が怖くて、そんな感情から開放されたくて、紫月
自身も又倫周と同じように孤独と戦っていたのかも知れなかった。
本人たちも気付かぬところで同じような孤独に震える2人が分かり合える日は不幸なことに
この世に存在するうちには訪れることはなかった。
「倫、倫、、可愛い、、、好きだよ、倫、、、可愛いよ、、、」
無意識に発せられたその言葉の全てが嘘ではなかったと言える日が来るだろうか、もしもそんな
日がもう少し早く訪れたなら紫月も又救われただろうに、、、
ほんの少しの憎しみが捨て切れなかったばっかりに2人に降りかかる慟哭の日々はすぐそこまで
近付いていた。 |
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