蒼の国-TS Version/Ruin- |
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紫月が冗談のように言った「Fairy」という名がデビューするに当っての正式なバンド名に決まり、
ギターとキーボードのメンバーも早々に決定した。
このところはFairyのデビューに向けて忙しい日が続いていた。
そんな忙しさの中にあっても、睡眠時間が思うように取れない日が続いても、、、
近頃の帝斗はとても明るい。何がそんなに楽しいのか快活によく笑って、面倒なはずの付き合い
にもよろこんで顔を出すようになって。何か感じが変わったような気がするんだ、帝斗が幸せそう
なのは俺にとってもそれはうれしいことだが、でも何がそんなにうれしいんだろう?何がそんなに
楽しい?近頃は忙しそうに仕事に没頭しているようで、そのせいか外出することも多くなって、俺と
過ごす時間も減ってきた。もうすぐFairyをデビューさせるっていうこんな時期にお前は一体何を
やっているんだ?いつもいつも何処へ出かけて行くんだ?なあ、帝斗、、、
格別の不安があったわけではない。が、しかし紫月はこのところの帝斗の様子が何となく変わった
ことに不思議な感覚を覚えていた。何故帝斗がこんなにも明るいのか、何故こんなにもうれしそう
なのか、気付いてしまうまでは紫月もまだ幸せな気持ちでいられた。帝斗が幸せそうなのは
紫月にとってもうれしいことだったから。そう、帝斗が幸せな原因を知ってしまうこのときまでは。
それはレコーディングスタジオでFairyのレッスンを行っていたときだった。
帝斗が様子を見に来てその日のレッスンが終わろうとしていた頃、紫月の耳に弾むような声が
響いてきて、ふいと後ろを振り返ると。
頬を紅潮させながらうれしそうに話す声の持ち主が帝斗に纏わり付いていて。
紫月は一瞬血の気が引くのを感じた。
本能だったのか、それがどういうことを表しているかはすぐにわかった。
跳ねるように帝斗のまわりでくるくると笑っている、幸せそうな顔で頬を紅潮させながら話している。
その様子を見つめる帝斗の表情を見たときに、全てがつかめた。何故帝斗が明るくなったのか、何故
幸せそうに快活にしていたのかがわかったとき、紫月の瞳からはとたんに色が失われていった。
帝斗?お前、まさか、、、
まさかそんなことが、、、あるはずないと思っていた。帝斗に限ってそんなことがあるはずないと。
だがそれは現実だった。
まさかお前が、お前が幸せそうにしていたのはこれが原因だったなんてっ、、、!
おかしいとは思ってた、あのレコーディングスタジオでその様子を垣間見たときから。でも実感が
沸かなかったんだ、心のどこかで違っていて欲しいと思ってた、、、
大きなビルのいつものパノラマの窓から、見えた姿。お前が又何処かへ出掛けて行って。
いつものお前の黒のカブリオレまで歩いていく姿が見えて。その隣にうれしそうにお前に纏わり
付いて歩くあいつの姿を見つけたときに。全てのものが崩れ落ちる気がした。
柊、倫、、、あいつがうれしそうにお前の側に纏わり付いて、お前はやさしくその肩を抱いて
歩いていた。誰も見ている者などいないと思っていたのか、朝まだ開けきらぬ駐車場までの
短い道のりを、2人は幸せそうに寄り添って歩いてた。
どうして?帝斗、何でお前は、、本気なのか?本気で倫を、、そんな奴、まだ子供じゃないか、
どうして?今までの俺との全てを捨ててまでも、そんなに倫の奴がいいのか?そんなにそいつが
好きなのか?帝斗、、、答えろよ帝斗っ、、、!
夜も遅くなった頃、帝斗のカブリオレが駐車場に入って来るのが見えた。
紫月は一人、いつもの机に座っていた。
がちゃり、と重厚な扉が開いて、帝斗が帰って来た。
「紫月さん、ああまだいらしんですか?もうお部屋に引き上げたものとばかり、、、
すみません遅くなってしまいました。」
明るい声で、何の悪気もなくそう言ってくる帝斗に湧き上がる感情を抑えながら紫月は言った。
「何処に行ってたの?」
なるべく普通に、そう何事もないように訊いた。
明るい、悪気のない声が返って来る。
「ああ、新しく出来たレコーディングスタジオを見学に行ったんですよ、帰りに夕飯を済ませて
来てしまいましたけど紫月さんはまだでしたか?」
いつもと何ら変わりのない様子でそんなことを言う。
思い切って紫月は帝斗に近付いた。
祈るように、確かめるように、勇気を振り絞ってその腕を取ったけれど。
「帝斗、、、」
ふいに紫月が帝斗を抱きしめようとした瞬間に、帝斗はするりと身をひるがえす様にしてその
腕の中から抜けてしまった。
偶然だったのか、必然だったのか、そんなことは考えたくもなかった。事実はこの腕の中から
帝斗がするりと抜けてしまったことだけが痛々しく刻み込まれて。
「紫月さん、お食事まだでしたら下のラウンジお付き合いしましょうか?」
そう言って微笑む帝斗に紫月は蒼ざめながら言った。
「いや、いいよ。俺ももう済んでるから。」
やっとの思いでそれだけ言った。帝斗は何事もなかったかのようにそのまま自室へ引き上げて行った。
紫月の褐色の瞳に涙が滲んで。
帝斗、、、帝斗どうして?
さっきお前はわざと俺の腕から逃げたのか?もう俺に抱かれるのは嫌だというのか?そんなにも
あいつが大切なのか?あいつ、柊倫周、倫の奴がそんなに好きなのか?
がくがくと膝が震えて紫月はその場に座り込んだ。褐色の瞳からは大粒の涙が零れ出て
止まらなかった。大きな大理石のテーブルにしがみ付くようにして紫月は泣いてしまった。 |
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