蒼の国-TS Version/楼蘭- |
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それからしばらくはBearingRoadのメンバーとは会う機会はなかった。礼人が貸してくれた革
ジャンを返そうと常に持ち歩いていたけれどお互いに売れっ子のロックバンドはそうそうスケ
ジュールが会う筈もなく、当然礼人の携帯の番号やまして住んでいるところなど何も知らなかった
ものだから早く返そうにも倫周にはその術が思いつかなかった。ただ偶然会えた時の為に
いつもそれを袋に入れて大事そうに持ち歩いた。
あの暴行の日の後、倫周が真っ先に向かったのはやはり紫月のところであった。
初めての恐怖とも言える体験にさすがに自分の身体が穢れてしまった感が強く伴い、それを
癒す温かな存在を求めていた。紫月にやさしく抱き締められて早くそれを忘れてしまいたかった。
だが紫月の「忙しい日」は相変わらず続けられ倫周の願いは叶えられることは無かった。
何度訪ねても思いは遂げられず神経はもう狂気じみてきていた。重い扉を開けると必ずと
いっていい程、紫月はいた。だが倫周が訪れる度に少しすると携帯電話が鳴り、そうでなければ
来客がある。最初から留守にしているのであれば諦めもつこうというもの、なまじ顔を見てその
大きな胸の存在を感じてしまうだけにひとり取り残されるのは正に酷なことでそんなことが何度も
続けば紫月によって仕込まれた快楽の虜の身体は耐え難い想いに駆られ、ましてやあんな
暴行の後だっただけに倫周の神経は狂気と化していた。
始発電車に乗りまだ誰も出社していないプロダクションの紫月の部屋に息を切らせて向かった。
いくら何でもこんな時間なら来客もないだろうし、仕事の電話だって掛かって来ないだろう、
そう思ってほんの少しの時間でもいいから抱きとめて欲しくて倫周は走っていた。
重い扉を開けてプライベートルームのベルを鳴らす。逸る気持ちと戦いながらただひとりの存在を
待つ、今日こそは何としても抱きしめてもらう為に、心も身体もひっくるめて全ての想いを受け
止めてもらう為に、全ての傷を癒してもらう為に、、、!
がちゃりと鍵の開く音がして中から待ち望んだ顔が覗いた。シャワーの後だったのか紫月は
バスローブ一枚羽織っていただけの姿だった。
ほんのりといい香りがしてきて、、、
狂ったようにその胸に飛び込んだ。
「紫月っ、紫月っ、紫月ぃ、、!」
とっさの予期しない事態に紫月もさすがに驚いた様子であったが、胸元に縋ってくる細い身体を
抱き止めながら瞳は冷たく輝いていた。恐ろしいくらいやさしい声で言葉を掛けてやる。
「どうした倫?こんな時間にひとりで来たのか?」
倫周は今日こそは待ちきれないというように自分から紫月のバスローブをこじ開けて青真珠の
ような肌に縋りついた。
「抱いて、、、!ねえ紫月お願いっ、お願いだよぉ、、、」
感情が高ぶって、涙が溢れて、、、紫月が身動きできない程の強さでしがみ付いてくる。
紫月はそっと倫周の肩に手をやるとすまなそうに潤んだ瞳を覗き込むと又しても倫周にとって地獄の
ような残酷な言葉を言った。
「すまない倫、これから出張なんだよ。7時の新幹線に乗らなきゃならないんだ。」
一瞬にして深い怒りと哀しみの色を大きな瞳に歪ませて。
「うそだっ、、そんなっ、、出張なんてうそだっ、、、!どうして、、いつもいつもそうやって俺を
避けるんだよっ、、どうして抱いてくれないんだよぅ、、、」
ぼろぼろと涙が零れる、さすがの紫月も困ったような顔をしたがそのとき又しても紫月の携帯
が鳴った。電話に出ようとベッド脇のサイドテーブルに置かれた携帯を取ろうとしたとき。
一瞬早く倫周の手がそれを取り上げて、勢いよく放り投げた。
呼び出し音は止まって、、、
「倫、、、なんてことするんだ、、、」
紫月の顔色が翳りをみせたとき、幼い子供のように倫周はその場に動けなくなってしまった。
しばらくは言葉も出てこなくて。紫月は深く溜息をつくと静かな声で言った。
「倫、仕事なんだ。わかってくれるだろう?いつまでもそんな子供みたいなことを言って困らせ
ないでおくれ。今は少し忙しいけどもう少ししたら又時間が作れるようになるから、そうしたら
倫が嫌だっていうくらい側にいてやる、俺を嫌いになるくらい抱き締めてやるから、今は
わかってくれ?な、、、」
涙が零れる、倫周の頬に。無言のまま大きな瞳からぼろぼろと真珠の粒のような涙が零れて
止まらずに。
紫月はそっと倫周の肩を抱いた。茶色の細い髪にくちつ゛けをして。
「紫、、つ゛き、、、紫月、、、んっ、、、、うっ、、、」
がくがくと身体中から力が抜けていくように倫周は紫月の胸に崩れ落ちた。
残酷なくらいのやさしい言葉を残して、紫月は出張に行ってしまった。重い扉を開けて部屋を出て
行く後ろ姿をもう何も感じられなくなった大きな瞳が見送って。うれしさも悲しさも、寂しさでさえ
感じられなくなった倫周の瞳が空を漂って。次第に感情を押し殺すようになって。
何も考えたくない、いつ紫月が戻ってくるのだろうと、考えたって戻ってなんか来ない。
いつ抱きしめてくれるのだろうなんて、考えたって抱きしめてなんかくれない。
いつになったらこの苦しみは終わるのだろうって、考えたって終わらないのなら、もう何も
考えない、最初から期待しなければいい。やさしくされたいなんて思わなければいい。
期待して、追いかければそれが手に入らなかったとき辛いだけだから、はじめから追いかけない、、
もう誰も信じない、、、
だけど、ああだけど、、、
倫が嫌だっていうくらい側にいてあげるよ、、、倫が俺を嫌いになるくらい抱き締めてあげるから、、、
心の奥からやさしい声が響いてきて、聞きたくないのに何度も何度も木魂してきて、、
「ああっ、紫月ぃっ、、、辛いよ、、辛くて苦しくて、気が狂いそう、、っ、、、」
助けて、、、紫月そばにいて、、、お願いだから、、、っ、、、
朝まだ早いプロダクションの中の、しかも紫月や帝斗の住居があるこの最上階には誰も人影が無く
ひっそりと静まり返っていた。ちょうど差し込んできた朝陽がやわらかな陰影を廊下に映し出して
倫周は何度もそうして向かえた紫月との朝を思い出しながら又も涙に濡れていた。
紫月の部屋と反対側にある帝斗の部屋の扉が目に入ってきて、倫周のふらふらとした
足取りは無意識にそこへ向かった。
どうやっても紫月に叶えてもらえない想いが自然と帝斗に向けられてしまうのは致し方ないことだった。
むしろそういうふうに考えられたのはまだ救いようがある方だったといえよう。
ふらふらと辿り着いた帝斗の部屋の前でその扉に縋りつく、もうここしか頼るところがないといった
ふうにして祈るような気持ちで、まるでその大きなアールデコの扉が帝斗自身だというように
抱きついた。実際に帝斗に会うつもりだったわけじゃない、長い廊下を歩きながら倫周の意識が
帝斗の温かい笑顔を思い起こさせ、まるでこの扉自体が自分を救ってくれる何かに見えるようで
無意識に足が向かってしまっただけ。倫周は扉に縋り付くとずるずるとその場に泣き崩れた。
自分の行動がはっきりとつかめない、やはり神経は限界に達していた。
扉の向こうに物音がするようで帝斗はプライベートルームのドアを開けた。明らかに事務室の
表扉に何かの気配を感じて帝斗は監視カメラを覗いた。斜めに歪む映像の中に扉の前でしゃが
み込む倫周の姿を捉えて帝斗の暗褐色の瞳が驚いたように見開いた。
突然に背中が押されるような感覚が走って、扉の後ろに無意識に追い求めた顔が見えて。
「倫周!?」
帝斗は慌てて泣き崩れている細い身体を抱き上げた。
突然に現われた帝斗本人の存在がとっさには意識の中に取り込めなくて、視覚だけが捉えた
その存在に倫周の瞳が訴えるように見開いて更に大粒の涙が溢れ出た。
その尋常ではない様子に帝斗自身も戸惑いの色を浮かべながらそれでもやはり帝斗はやさしく
倫周を覗き込んだ。暗褐色の瞳が本当に心配そうに覗き込んでくるのを感じて倫周はたまらずに
その大きな胸の中に飛び込んだ。
何も言葉にならずに只々泣き続けて、、、
「倫周?どうしたんだ?何があった?」
いつまでたってもひたすら泣き続けるだけの倫周の肩を揺さぶって帝斗は尋ねた。
揺さぶられてやっと我に返ったのか大きな瞳が今度は意思を持って目の前の存在を捉えると
今度は勢いよくそのまま縋りついた。
「帝斗、、、助けて、、助けて帝斗、、、っ、、、」
助けてよ、俺を助けて帝斗、、辛いんだ、辛くて寂しくてどうしていいかわからない、、、
行ってしまう、皆みんな俺をひとりにして行ってしまうんだよ、怖くて恐ろしくて助けを呼んでも
誰も振り返ってくれなくて、どんどん後ろ姿が遠くなっていって、皆そう、誰もこの手をつかんで
連れて行ってなんかくれない、誰も受け止めてなんかくれないんだよ、、、俺はひとり、、、
いつもひとり、ずっと昔からいつもひとりで、怖いんだ、、、だから助けて、何でもするよ、、、
助けてくれたら何でもするから他には何もいらないから側にいて、、、
やっとのことで自分の名前だけ呼んでひたすらに泣き続ける倫周に帝斗は困惑した。
何があったのか、何がそれ程までに悲しいのか理由が全くわからずに、ただ泣き続ける倫周を
目の前にして帝斗の思いつくことはひとつしかなかった。
紫月さんは何をやってるんだろう、倫周にこんな思いをさせて。2人の間に何かあったのか?
不覚にも帝斗はそのとき頭に思い浮かんだその疑問を言葉にしてしまった、もちろん帝斗自身
はそんなこと言うつもりではなかったが思ったままが無意識に口をついて出てしまったのだ。
「何があったんだ?紫月さんはどうした?」
一瞬耳に飛び込んできた思いもしないひとことに倫周の瞳は硬直し、とっさにはそれがどういうことか
考え浮かばぬままに予期せぬ言葉だけが拾われて。
今なんて、、、何て、、帝斗、、、?
ま、さか、、
「知って、、、知っていたの、、か、、、?知って、、、そんな、、、、」
倫周の顔色が真っ青になった、全身から血の気が引いて。今までやっとの思いで持ち続けていた
最期の何かががらがらと音をたてて崩れ落ちるようで。
「いやああああっ、、、、」
倫周は叫んだ、全てのことが全部失われてしまったようで、まるで大勢の前で裸にされていくようで。
声にならない絶叫をしながら耳を塞いだ。身を屈めて何かに隠れるように、何かから逃れるように
正気を失って。
突然に立ち上がると一目散にその場から逃げるように走り去って行った。
「倫周っ!どこへいくんだっ!?待ちなさいっ倫周っ!?」
帝斗の声は届かない、届くはずも無く、、、
知っていたなんて、、、帝斗が俺と紫月のことを知っていたなんて、全部知られてたっていうのか?
俺が紫月に抱かれてることも全部、全部知ってて、、、
倫周は残された最期の砦を失ってしまうかのようにそれに向かって走り続けた。形の見えない
最期の砦、自分を守る最期の砦を探すように、走った。
知っていたなら何で助けにきてくれなかったんだ、、、何で何も言ってくれなかったんだ、、、
どうして黙って紫月に俺を渡してしまったんだ、、、!
抱きしめてくれたじゃないか、あの春の日のベイブリッジで、
あんなに強くあんなに熱くくちつ゛けしてくれたのに、、、っ、、、
あんなに熱く、、、
はじめてだったんだ、あのくちつ゛け、俺にとってはじめての、、帝斗がはじめての、、、
好きになった人だったのに、、っ、、、
好かれてると思ってた、愛されてると思ってた、帝斗も俺を愛してくれてると信じていたのにっ、、、
「俺と帝斗は愛し合ってて、お前が来るずっと前から、お前はそれを盗ったんだ、、、!」
いつかの紫月の言葉が蘇る。
本当だったんだ、あれは本当だった、、、
「、、、!、、、」
一瞬、倫周の頭の中をよぎったもの、
紫月はまだ俺を憎んでる、、、?まだ、本当はあれからずっと許してなどいなくて、紫月はずっと
帝斗のことを想ってて、俺のことを憎んでて、、、!?
だから、だから抱いてくれないのか?だから受け止めてくれないのか?急に忙しくなって?
わざとだ、、、わざとだ紫月、、、わざと俺を避けて、ひとりにして、、、
俺が紫月なしじゃいられないのを知っててわざと、、、
「可愛いよ倫、大好きだよ倫、お前はおれのものだよ、、お前の一番好きな人はだあれ?」
うそだったんだ、あの言葉、俺を抱き締めながら何度も言ったあの言葉、全部全部うそだった、、?
紫月は俺を愛してなどいない、、、、
信じていたものが崩れていく。壊れてしまいそうだから大事にそっと持ち続けてきたものがみんな
壊れて無くなってしまう。どんな形にせよ言ってくれた言葉を信じて与えてくれたぬくもりを信じて
手を伸ばしてきたのに。すべては嘘だった、一生懸命信じて守ってきたものは砂の城だったんだ、、、
砂の城。ひとたび風が吹けばあっという間に消えてしまう、そんなものに俺はしがみ付いていたんだ。
まるで最初から無かったも同然のようなものに全てを見出そうとしていたんだ。 |
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