蒼の国-TS Version/疑惑-
砂の城。ひとたび風が吹けばあっという間に消えてしまう、そんなものに俺はしがみ付いていたんだ。

まるで最初から無かったも同然のようなものに全てを見出そうとしていたんだ。



倫周が紫月や帝斗の代わりを求めたのは本能だったといえよう、自分自身を守る為に無意識に

生きる為の本能が働いて。だがその瞳には以前のような輝きが映し出されることはなかった。

頬を紅潮させて帝斗の周りを楽しそうに纏わりついて歩いた、それが奪われてしまっても前向きに

胸を高鳴らせて紫月の腕に飛び込んで行った、そんな輝きは嘘のように失われその瞳にはもう

何も映ってはいないようだった。もう何も望まない、何も求めない、大切に守るものも無い。

すべてのことに無関心といったふうで喜ぶこともなければ怒ることもない。話しかけられても返事

だけで内容は右から左に抜けていき、空を漂うような瞳をして、YESでもなければNOでもない。

成り行きに身を任せて自分の意志を持たない、それは次第に倫周の存在を居るのか居ないのか

といったような感じに変えてゆき、Fairyの仲間にもその違和感が痛く感じられるようになって来た頃。



期間限定のレギュラー番組で半年間歌番組のパーソナリティを務めることになってFairyはより

忙しく過密スケジュールをこなしていた。番組スタッフとも慣れて仕事も楽しくなってきた頃だった。

その日も収録の為スタジオ入りしていた。このところ妙に雰囲気が変わってしまった倫周の様子

が気になって、あれ以来何となくぎこちない雰囲気になってしまったこともあり、あまり会話の

無かった遼二の視線が自然と倫周を追いかけていた。他の仲間とも接触を避けていたわけでは

ないがやはり仲間の方も倫周の異様な雰囲気に言葉を掛けずらかったようで、収録の合間に

ひとり佇む倫周にふいと一人の人影が近付いたのが目に入った。

別にその人が誰だったか、どんな用事で近付いたのか、そんなことが気になったわけではなかった

が遼二の目線はたまたまその姿を映していた。ふいと何かが手渡されて。どうってことのない仕草

がやけに気に掛かって遼二の視線はそこで止まった。


何だろう?緑色の紙?何かのメモのようだが、、、


手渡したのは番組ディレクターの本城圭吾だった。本城はそれを手渡すと殆んど会話もないまま

すっとどこかへ行って誰かとたわいの無いような会話を始めた。

手渡されたものを確認すると倫周の瞳は又いつものように空を漂うような感じになった。

特に驚いたでもなければうれしいでもないような、これといって感情は伝わってはこなかった。



収録が終わって、まだ午後の3時を回ったところだったが今日はこの後の予定も入っていなかった

ので一同はビルのワゴン車に送られていつものように帰路についていた。

「ビル、ここで止めて、今日はここでいいよ。」

車が東京駅の前に差し掛かったところで突然に倫周は言った。

近頃にしては珍しく倫周が自分の意思を表したものだから仲間たちは一瞬驚いた顔をしたが

これまた珍しく明るい感じで言われた言葉に一同はあっけに取られたようになった。

「探したい本があるんだ!ここで下ろして。」

その顔に微笑みさえ浮かべてそう言う倫周に一番違和感を感じたのは遼二だった。

車を降りて本屋の方向へ横断歩道を渡ろうとしている姿をバックミラー越しに見つめながら

遼二も又ビルに声を掛けた。

「あっ、いけねぇ、俺も買わなきゃいけねえ本があったんだ!悪ぃビル、俺もここで降りるよっ!」

丁度信号に引っかかったこともありビルはすぐに車を止めてくれた。

「おお丁度よかったぞ遼二!倫周は何かぼうっとしてるからなあ、迷子にでもならないよう面倒

見てやってクレ。」

「おおよっ、任せとけって!じゃあなっ」

そう言うと遼二は勢いよく車から降りて行った。そんな後ろ姿を見送りながら相変わらず潤は

小姑のようなことを言った。

「遼二さん!帽子、帽子深く被って。サングラスも忘れないでくださいようっ!」

遼二はやれやれと思いながら苦笑いをした。倫周と何となく気まずくなってしまってから遼二の

心のよりどころはこんな些細だけれども何故かほっとするような仲間がいることだった。



潤に言われた通り帽子とサングラスで顔を隠すと遼二は小さくなった倫周の後ろ姿を追って

走り出した。

勢いよく走って追いついたけれど。倫周は本屋には入っては行かなかった。一応中に入る振りを

したものの当りを見回すとふっと方向を変えて足早に歩き出した。遼二はもちろんのこと、その

後を追った、倫周に気付かれないように。

遼二は次第に高鳴る胸を抑えながらあることを考えていた。



おかしい、、、尾行されていることに気がつかないなんて。「あの」倫が?



どうしてそんなことを思ったのか、体外の人間なら余程のことでもない限り例えば尾行された

としても気が付かないことの方が普通であろう。だがこの遼二と倫周の場合、両親の仕事柄

幼い頃からそういうふうに仕込まれてきたので遼二は妙にそれが引っ掛かってならなかった。

2人の両親は香港で同じ仕事をしていた。それは言わば常に危険を伴う特殊なものでそれ故

現金の収入は桁外れて多く、だから倫周の邸とて都内の一等地にあんなに立派な構えが

出来たのであって、現在遼二の両親は日本にいたが都合で京都に住んでいたので遼二は

都内にある親のマンションに独りで暮らしていた。倫周の両親は香港で亡くなったがその亡く

なり方は酷いものでまだ幼かった倫周にとって無残というより他無かった。

それは幼い遼二と倫周が好奇心だけでふらふらと入り込んだ古びたビルの一角で起こった、

忘れたくても絶対に忘れられない出来事だった。

あの日、遊びに夢中になって迷い込んだその場所は香港警察でもうかつに手が出せない危険

地域だった。2人の両親はその香港警察とも深いつながりがあったが、同時に香港マフィアとも

つながっていた。言わば決して日の目を見てはいけない仕事をしていた。

わかりやすく言うなれば、殺し屋家業のようなものだった。その為そっちの方面での腕は達ち、

共に男の子だった遼二と倫周は幼い頃から当然の如く武芸を仕込まれて育った。別に両親が

子供たちに自分たちの職業を継がせる意思があったわけではないが、そういう環境の中で

暮らしていくに当ってそういったことが必要不可欠だったのであった。よって普通の人間の

立ち入らないその危険地域にも2人の両親はテリトリーが無いわけではなかったのだが。

いつまでたっても帰らない息子たちに長年の勘が働いたのかそこまではわからないにせよ、とにかく

両親は子供たちを探し当てることが出来た。それだけでも奇跡に近かったが2人の両親には

恐らくそこを抜けて無事に帰る自信があった。だが事態は予期せぬ方向へと向かった。

薄暗い古ビルの中で無数の何処から沸いて出たともつかない浮浪者の群れに囲まれて、それ

でも普通であれば抜けられるはずだったのだ、少々怪我を負ったとしても遼二と倫周の両親で

あればそのくらいは優に可能だった。だから香港警察をもマフィアとでさえも渡り合って、決して

きれいな仕事ではなかったがその名を上げて来られたはずなのに。

倫周の父親は倫周をその腕に抱えたまま亡くなった、浮浪者たちに散々に殴られて。幼い倫周を

守り抜いて息絶えたのだった。それは今から考えても不思議な出来事だった、そんなに腕の達った

倫周の父親が何の反撃もせぬまま只殴られるままに身を任せて死んでしまった、どうしてという

疑問が一番強かったのは遼二の父親だったろう。親友の死を目の当りにしながら何故ひとつの

反撃もしないままに逝ってしまったのか恐らく永遠に理解出来ないだろう。


その父親の死後、倫周は人が変わったようになってしまった。どちらかといえば甘えん坊のすぐに

人に寄り掛かりたい性格が感情を失くしその瞳は氷のように冷たくなって決して笑うことはなくなった。

そして今まで嫌々ながらやらされていた武術の稽古に狂ったように打ち込み始めた、まるで

何時かは父親の敵を取るとでもいったように。そんな倫周を遼二はもちろん遼二の両親も痛く

心配して丁度日本での仕事が決まったのをきっかけに幼い2人にしてみれば初めて目にする

祖国へ来ることになったのであった。遼二はあの日以来笑うことの無くなってしまった親友に

何とか笑顔を取り戻してほしくて考え付くありとあらゆることを持ちかけた。そんな中で初めて

倫周が興味を示したのがバンド活動だった。遼二にしてみればきっと又迷惑そうな顔をして

断られるのを承知の上で当時興味のあったギターを持って倫周を訪ねた。だが予想に反して

これが倫周の興味を引き、初めてうれしそうな顔を見たのだった。あのときの倫周の表情は遼二に

とって忘れえぬ程うれしいものだったろう、遼二にとっては何でもよかったのだ、大切な親友に

笑顔が戻ってくれるのならそれがバンドであろうとスポーツであろうと。それ程に倫周が大切で

あったし、倫周も又同じであったに違いない、兄弟のように決して離れることなく育った2人に

とって、だからこそあの初めての逢瀬の夜は遼二の心をもぎ取るような衝撃の夜になってしまって

いた。



2人がバンド活動を始めてしばらくした頃、出演した地元の小さなライブハウスでビルの目に

止まったのはやはり運命というより他ならないだろう。そうして出会った帝斗と紫月のプロダクションで

デビューに向けて過ごしていくうちに倫周は明るさを取り戻した。それは遼二にとっても驚く程で。

日増しに明るくなる表情、ときには弾んだような声をして、頬を紅く染めて、何がそんなに

楽しいのか、余程バンドが好きなのかと遼二が思う程で。だがその原因はそれだけではなかった、

それがわかったのは皮肉にもあの衝撃の逢瀬の夜だった。自分の腕の中で無意識に発せられた

倫周の言葉で遼二は現実を知った。だが遼二にも予測はあった。楽しそうに話す唯ひとりの人の

名前、それを口にするときの倫周の紅潮した頬が何を表しているのか、そんなことは聞かなくても

想像がついた、倫周は親を早くに亡くしていたから別に不思議なことではなかったと遼二は思って

いたが只ひとつ想像出来なかったのは倫周がその人とそれ程深い仲にあったということだった。

あの逢瀬の夜に遼二はそれを実感したのだ。それは特別な。そう、倫周が男に抱かれていたという

事実。遼二はそれがてっきり粟津帝斗によってもたらされたものだと思い込んでいた。それは

そうだ、だって倫周はあの夜、帝斗の名前を呼んだのだから。頬を紅潮させて話す人の名も又

帝斗だったから。遼二には露ぞ紫月のことなど想像は出来得なかった。

そして今又雰囲気の変わってしまった倫周の後を着けている。遼二がおかしいと思ったのは

その尾行に倫周が気付かないことだった。香港であれ程までに、それはいうなれば狂気のように

叩き込んだ武術とあれ程の環境の中に身を置いてどうしてそれが感じられないのか不思議であった。



ここまで来ればビルの車は遠ざかりもう仲間に見つかることはないと思ったのか特に気配りを

する様子も無く倫周はある石造りの建物の中へ入っていった。どうやらビジネスホテルを高級に

したような感じのところで遼二は初めて訪れるところだった。ロビーを入ると足早になり、油断する

と見失いそうになった。しかし普通のシティホテルに比べるとやはりこじんまりとした造りのロビーは

迷うこともなく、そっと物陰から何階へ行くのかを確認すると遼二は急いでその階まで階段で登った。

一体こんなところで何をするつもりだろうと疑問に思ったが遼二にはまだそれが大してどういうことか

把握出来ていなかった。只普通に疑問に思っていたのであったが、、、

まだ昼間なのにひっそりと薄暗い廊下のある部屋の前で倫周は立ち止まった。

こんなところに何の用があるっていうんだ倫の奴、、誰かと待ち合わせでもしてんのか?

最初何の違和感も無く普通にそう思った遼二の顔色が変わったのはその後間もなくであった。

倫周は部屋の前で立ち止まるときょろきょろとルームナンバーを確認し、そして最後にもう一度

確かめる為にポケットから何かメモのようなものを取り出した。

それを見た瞬間に遼二の顔色が変わった。

緑色の紙、あれは確かどこかで見た記憶が、、、どこだったか、、?

遼二はそれをどこで見たのかを思い出すとその表情に不安が走った。



まさか、、まさか倫、、、?



がちゃりとドアが開いて中から誰かが出てきたようで倫周は部屋の中へ入っていく。その背中に

廻された腕がちらっと目に入ってきて。それは明らかに男のものだった。

ワイシャツを着た男の手だった。それにあの緑色の紙、、、じゃあそいつは本城だっていうのか?

何で倫と本城がこんなところで、、、

その理由はひとつしか想像出来なかった。先程倫周の背中にまわされていた腕がそう物語っていたから。

遼二は言いようも無いくらいの衝撃を受けて。



俺だけじゃなかったっていうのか?倫のあんなことする相手は他にもいたっていうわけか?

一体いつから、、?いつから倫はこんなこと、、、



遼二にとってのこの驚愕とも言える事実は実はまだほんの序章であった。

これが驚愕だなどと思った遼二の神経を打ち砕く瞬間はそう遠い話ではなかった。