蒼の国-TS Version/REMOVER- |
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帝斗が紫月と倫周の関係を目撃してしまった衝撃の日以来、次第に倫周の心を不安が襲うように
なり、近頃では紫月の腕の中でさえ帝斗を追い求めて無意識に涙するほどになっていた。
次第に自分に構ってくれなくなった帝斗に対する心の不安が抑えられないようで大きな瞳は
常に戸惑いの色を映し出すようになっていた。紫月の方もそんな帝斗の様子に疑問を抱えていた。
てっきり抗議にやって来るものとばかり思っていたのに何時までたってもそんな様子は
微塵も見られずに、逆に倫周に対して普通になってしまったその態度はまるで熱が冷めてしまった
としかとれないようにも感じられた。
帝斗の奴、さすがにあんな倫を見たら嫌気がさしたのかな?と紫月が思う程であった。
それならそれで紫月にとっては一抹の、復讐を終えたような気分になって一連のことは平穏を
取り戻すのかと思えた頃、不運はやはりことをこのまま終わらせてはくれなかった。
倫周が帝斗に対して持っていた寂しさや恋しさといった感情を無意識に紫月に求めるようになった頃、
紫月も又無意識にではあったが自然とそれを受け入れていた。
このまま何事も無くこんな日々が続いたならひょっとしてそれは愛情に変わる日が来たかも
しれないと思えるほどだった。最初は波乱の出だしでも後に本物の愛情に取って代わることも
ないとはいえなかったし、むしろそんな関係の方がより強い力で結ばれたりもするものだから
本当にこのまま何事もなければ或いは紫月と倫周にとってもそれは例外ではなかったかも
知れない。そう、あんなことさえ無ければ紫月は過ぎ行く年月の中で倫周を愛してやることも
出来たかもしれない。
リハーサルが終わった後のひっそりとしたスタジオの、倫周が叩くドラムの前で、倫周が残して
いったスティックを大事そうに抱きしめて涙している、そんな帝斗の姿を見たりしなかったら、、、
紫月にとってそれは衝撃の光景だった。もしかしたら紫月と倫周の逢瀬を目撃したときの帝斗
以上にショックだったかも知れない。
帝斗、、、?お前、まさか、まだ倫を、、、?
お前はまだ倫が好きなのか?そんな、倫の使ったスティックを抱きしめて涙する程あいつが好き
なのか?嫌いになったんじゃないのか?嫌気がさしたんじゃないのか?俺を求める倫を見て、
もう終わったものと思っていたのに、、、!どういうことだ?
紫月は疑問だった。それがどういうことを意味するのかどうしてもわからなくて戸惑った。
そんなに倫周のことが好きなら何故自分のところに抗議に来ないのか、或いは何かの誤解が
あるにしても何故その気持ちを自分に言って来ないのか、どうしてもわからなかった。
そんなに倫周が好きなのであれば当然倫周自身にもそういう想いは伝えるはずであろうし、
何より自分のところにそういう気持ちをを言って来るだろうと思っていた。
「僕は倫周を好きなのだから」と、「僕も倫周を愛しているのだから紫月さんは手を引いて下さい」
と頼んで来てもおかしくはないのに、何故倫周をも突き放すような態度をして自分一人で耐えて
いるのか考えあぐねた。
何故?帝斗の心の内を知らない方が紫月にとっては幸せだった。だがやはり運命はそんな
2人を放っておいてはくれなかった。
夜も更けた高級ホテルのバーラウンジで、2人は会ってしまう。一人になっていろいろなことを
ゆっくり考えようかと紫月が気軽にやって来たバーで、接待を終えた帝斗と出くわしてしまった
ことが新たな不幸の幕を開けてしまうことになる。
「紫月さん、、」
少々驚いたように帝斗はその名を口にした。互いに大きな褐色と暗褐色の瞳がぶつかり合って
しばし止まった。
「やあ、打ち合わせ、今までだったの、、?お疲れさん、、、」
ぎこちない言葉を掛け合って2人は新たな席に着いた。
何を話していいのかお互いに戸惑いながら、仕事関係のどうでもいいような話をずらずらと重ねた。
品のいいスーツに包まれた、品のいい仕草のなつかしい手がすぐ目の前に置かれていて。
紫月は震える手でそれに重ねた、まるで吸い寄せられるように帝斗の手を取って。
大きな瞳が互いを捉える。一瞬、ときが止まったようになって。
「だめですよ。」
ふい、と軽く微笑みながら帝斗は言った。
瞬間、何を言われているのか、何がだめなのか、といったふうな不思議そうな表情で帝斗を
見つめた。
「あなたには大切な人がいるでしょう?」
と言って又軽く微笑んだ。
大切な人って?何のことを言ってるんだ?
紫月には帝斗に対する懐かしさや愛しさが入り混じった複雑な気持ちが溢れ出て、とっさに
言われていることが理解出来ないといったようだった。それ程、やはり紫月は帝斗を想っていた。
帝斗を真近にして今までの何もかもがすっ飛んでしまう程、愛していたのかも知れない。
紫月の瞳には帝斗しか映っていないようだった。
抱きしめたい、、今ここでお前を俺のものにしてしまいたい、帝斗、お前が、、好きだっ、、、!
そんな溢れんばかりの紫月の気持ちを押しとどめてしまった言葉。
「想う方は真剣なのですよ。」
暗褐色の瞳に寂しげな色を映して帝斗は言った。
え、、、?
何を言われているのかとっさにつかめない様子の紫月に言い含めるように帝斗は言った。もう一度
同じことを。
「あなたはどう想っているのかわかりませんけれどね、想う方は真剣なのですよ。あなたを求めて
くる気持ちを大事にしてやって下さい。」
俺を求めてくる気持ち?何のことを言ってるんだ、、、
「嫌だなあ、紫月さんたら。あなたを求めて飛び込んでくる瞳があるじゃないですか、あなただって
彼を嫌いじゃないんでしょう?だから、、」
そこまで言いかけて帝斗は、はっと口を閉ざした。
俺を求めて飛び込んでくるって、倫のことか?お前は倫が俺を好いていると思ってんのか?
だからお前は身を引いたってわけか?あんなふうに一人で耐えてまで倫の幸せを願っている
とでもいうのか?
紫月は言葉を失った。そんなふうに思っていたのだろうかと驚いた。全然違うのに。
「もう遅いですから、、」
そう言って席を立った帝斗の腕を強い力でつかまえて、紫月の表情は戸惑いで溢れていた。
違うんだ帝斗、倫は俺を想ってなどいない!俺だって、倫を愛してなどいない!俺が本当に
好きなのはっ、、!お前だ、お前だけ、、、ああ帝斗、、、
結局何も言えずに、何一つ伝えれないままに帝斗の去っていく後姿を紫月はぼうっと見送って
いた。その心は帝斗を想う気持ちで溢れかえり心臓をつかまれたように苦しくてどうしようもなかった。
ああ帝斗!ここがラウンジじゃなかったら、誰もいなかったら、今すぐ俺はお前を抱き締める、
たとえお前が嫌だと言っても、力ずくでも抱きしめてしまいたいっ、、!好きなんだ、帝斗、、、
お前だけが、好きで好きでたまらないのに、どうすることもできない、、、
俺にはもうお前をこの手に抱く資格など無いっ、、お前の大切な倫を穢し、お前から倫を奪って
お前を寂しさのどん底に突き落とした、それなのにお前はまだ倫を想ってる、、、
倫の幸せだけを願って身を引いたっていうのか?倫が俺を求める姿を誤解して、お前は倫が
俺を好いているのだと思い込んでいるってわけか?俺の腕の中で倫がお前を恋しがって泣いて
いることなど露知らずに倫の幸せを願ってるっていうのか?
そのとき紫月は一瞬心が痛んだが冷静になって考えるとどうしてもしっくりと来ないものを感じて
止まなかった。いつものように倫周をその腕に抱きながら紫月の心は疑問に揺れていた。
果たして本当にそうだろうか?自分でさえ倫周の心が誰を求めているか位わかるというのに
本気で倫周を大切に想っている帝斗に倫周の本心が見抜けないことなんてあるのだろうかと
非常に不思議だった。
紫月の心に嫌な不安の暗雲が広がる。
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まさか?まさか帝斗は全てを知っている?
自分が倫周を憎みその身体を穢し酷い仕打ちを与えたことを見抜いているとしたら?
最初から全部知っていたとしたら?
帝斗が紫月のもとを離れて倫周に走り、それに紫月が腹を立て、挙句の果てに倫周を憎んで
怒りをぶつけた、、、その全てを最初からわかっていたとしたら、、、
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紫月は目の前が真っ暗になるような気がした。まさかそんなことが、、、
でもそれならば帝斗の行動がなんとなく理解できるようで、つじつまが合うようで紫月は思考が
止まってしまいそうだった。
全てを知った上で帝斗が身を引くということは、、、
帝斗が倫周を諦めて身を引けば紫月の怒りも治まって、倫周は開放される
そんなふうに思ったのだろうか、と。
紫月は思ってしまったのである。たとえ帝斗の本心がどうであったにせよ、そう考えるのが
一番自然に思えてしまい紫月の頭の中にはもうそれしか浮かばなくなってしまったのである。
不幸なことに、それほど紫月は帝斗を愛しすぎてしまっていた。どんなことさえ嫉妬に狂って
しまうほど、帝斗だけを求めて止まなかった。
当然の如く紫月の倫周に対する感情は再び煮えたぎったように憎しみを呼び戻してしまう。
そんなに倫が大事なのか?そんなにしてまでこいつを守りたいのか?俺のことなんかどうでも
よくって、お前の頭は倫でいっぱいになって。
紫月は自分に抱かれて満たされた倫周の表情を見下ろしながら得もいわれぬ程の憎しみが
込み上げてくるのを感じた。
こんな満たされた顔しやがって、お前のせいで俺たちはすべて失ってしまったというのに。
今までの帝斗との信頼も、絆も、愛さえも全て形を変えてしまった。それなのにお前は何も
なかったようにこんな幸せそうな表情をしてる、悦びを全身で感じて満たされて、、、
憎い。お前が。お前を引き裂いてやりたい、この幸せな顔を潰してやりたい、ぐちゃぐちゃに
汚して、二度と立ち上がれないように、そう、今度こそ二度と笑えないようにっ、、、!
どうすれば、、、!?
自分の傍らで安心しきったように寝息を立てている細い身体を感じながら紫月はただひとつの
ことを考えていた。ただひとつ、倫周を地獄に突き落とすことを。
白いシーツの上で煙草をくゆらしながら冷たい瞳が夕闇の迫った窓の外を見つめる。その瞳が
微かに微笑みの色を写したとき、傍らの細い身体は目を覚ました、何も知らずに。
これから自分に迫り来る怒涛の如く激しい運命を知る由もなかった。 |
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