蒼の国-TS Version/Green Moon-
どの位の時間が経ったのか、重い身体を引きずって倫周はそこを出ようとようやく起き上がった。

辺りには散らばった荷物の山と破れた服が目に痛い。無造作に散乱した服をかき集めるように

して何とか身に纏うと倫周は呆然とドアに向かった。

廊下の比較的隅の方に位置していたその倉庫の前には昼間Fairyが使用していた控え室が

あったが、そこには灯りが点いていてもう別の誰かが入っているようだった。

こんな格好で人前を歩くわけにもいかず何かもう一枚羽織るものはないかともう一度倉庫に

戻ろうとしたとき、目の前の控え室のドアが開けられて倫周はびくりとした。

慌てて身をひるがえして出てくる人物に背を向けたが。

「おい?どうしたんだお前、、あれ?ひょっとしてFairyの坊主じゃねえか?」

どこかで聞いたことのあるようなその声に倫周は恐る恐る顔だけをそちらに振り返った。

ワイルドな雰囲気の見たことがある顔がそこにあって、それはFairyと同じように今ブレイク中の

ロックバンド、BearingRoadのボーカル、礼人であった。

先程の男と違い同じような境遇の同じような雰囲気の礼人に少しほっとしたのか一瞬倫周の

顔色が緩む、礼人は倫周の乱れた様子にぐいとその肩をつかむと自分の方にその身体を向け

させた。

「なっ、、?お前っ、どうしたんだ!?何があった!?」

引き裂かれたような衣服を両手で押さえながら所々に付いた引っかいたような傷とうっすらと

滲み出た血の跡、涙に汚れた顔を目にして何があったか容易に想像がつくようだった。

礼人は慌てて倫周を抱えるように自分たちの控え室に連れ込むとその顔色が真っ青に変わった。

明るい灯りの下で見るとその様子がより無残に浮かび上がり、丁度控え室にいたBearingRoadの

他のメンバーも驚きの声をあげた。

「どうしたっ!?誰にやられたんだっ!?」

礼人は半分怒りが込み上げたようにして倫周を問いただした。

がたがたと身体が震えて言葉の出ない倫周にリーダーの雪也がそっと近付いてやさしくその

肩を包むと側にあった椅子に座らせた。



このBearingRoadは3人組みのバンドでこの雪也がリーダーでシンセを担当し、あとはギターの

朔治と先程のボーカル礼人で構成されていた。

あまりの様子に苛々と怒りを露にする男気の強い礼人に対して雪也は落ち着いた大人っぽい

感じだった。もちろん3人ともFairyよりは随分年上の27〜28歳でそのせいもあって何となく

雰囲気が紫月や帝斗に似ていた。特にリーダーの雪也はその穏やかな感じが帝斗を思い起こ

させるようで倫周は又涙が込み上げてきた。3人に助けられて安心したのと先程の恐怖のこと

が思い起こされるのと身体の痛みとが混じり合って倫周は声を押し殺して泣き始まった。

雪也はやさしく倫周の肩を包むと穏やかに話し掛けた。

「大丈夫、こういうことはあんまり大げさにしない方がいい。もう大丈夫だから、ねっ。ほら、

もう泣かないで。ほんとに、、、怖かったろう?可哀相に、、、」

穏やかにそう言う雪也に納得がいかないと言った様子で礼人は食ってかかった。

「何言ってんだっ!こういうことはきちんとケリつけねえっていうとっ、、!全く何処のどいつだ?

ひでえことしやがってようっ、、、」

礼人は自分のロッカーから服を引っ張り出すと倫周に羽織らせた。ワイルド志向の礼人のこと、

それは黒の革ジャンという代物であったがぶっきらぼうな仕草とはうらはらにその心はとても暖かく

感じられて倫周はやっと落ち着きを取り戻して何とかしゃべれるようになった。

「ごめん、なさい、、迷惑、かけ、て、、ほんとに、、すみませ、、、」

その様子に安心したのか雪也がやさしく尋ねた。

「今日は出演あるのかな?俺たちはこれから生なんだけど、、、」

倫周は首を横に振った。既に録画を終えて帰る間際にふいとさっきの倉庫に入ってぼうっとして

いた倫周にとってこの後はフリーだった。他のメンバーは先に帰ってしまったので恐らくもう

ここには誰も残ってはいなかった。

「どうしようか?このまま一人で帰すのもなんだしな。マネージャーさんでも呼ぶか?君たちは、、

そう、たしか粟津帝斗さんのプロダクションだったよね、誰か迎えに来てもらった方がいいだろう。」

帝斗の名を耳にして倫周はびくりと瞳を見開いた、慌てたように首を振ると訴えるような感じで

言った。

「いいです、もう大丈夫ですから。一人で帰れますからっ、、、」

大きな瞳がまるで誰にも言わないで、と言っているようで雪也らはお互いの顔を見合わせては

心配そうな顔をした。

倫周は下を向いて唇を噛み締めているようで。



こんなこと帝斗に知られたくないっ、、遼二たちにも、無論紫月にも誰にも知られるのは嫌だっ、、、



雪也たちの生番組の収録時間がもう真近に迫ってきて、どうしようかと迷っていたとき。

礼人はふい、と微笑むと大きな声で言った。

「よっしゃ!じゃ俺が送ってやるよっ、収録、50分で終わっからここで待ってろっ!なっ?」

倫周は驚いたように礼人を見上げると、とんでもないといったように首を横に振った。

「い、いいですほんとに、、大丈夫ですからっ、、」

丁度控え室の外には出演の時間が迫って担当者が3人を呼びに来る声がした、礼人はにこっと

笑うと倫周の肩を叩いて控え室を出て行った。

「ちゃんと待ってろよっ!」



そう言ってくれるのは本当に有難く倫周にとっては厚意を無駄にするのもためらわれてしばらくは

そこにいたがやはりこの業界ではかなりの先輩でそんなに親しくもない礼人にあまり迷惑をかける

わけにもいかず、書置きを残してその場を後にした。人目に付かないように裏口の方から駐車場

を通って足早に家路を急いだ。だが普段目隠しのカーテンの引かれたビルの車で移動していた

倫周はプロダクションならともかくここが何処なのかとっさにはおおよその見当も付かなくて広い

駐車場をうろうろとしてしまった。普通の若者ならともかく香港から来て2年足らずの上、あまり

外を出歩いて遊んだ経験のない倫周にはそれも致し方なかった。

ようやく駐車場を出られた頃にはもう大分時間が経過してしまっていた。

とりあえず外へ出たものの何処へ向かえばいいのか戸惑ってしまい、いくら革ジャンを借りて

きたとはいえ、その下には破れた服と顔には痣や傷の跡が残っていたしサングラスなどの変装

道具もない上に人に見つかりでもしたら又面倒なことでどうしようと考えあぐねていたところ、

後ろからヘッドライトの眩しい光に照らされて倫周は目を細めた。

パッパッ、とクラクションが鳴らされて、モスグリーンのチェロキーから礼人が顔を出した。



あっ、、、



倫周は一瞬その場に立ち竦んでしまった。

「ばか野郎!何やってんだっ!待ってろって言ったろうがっ!」

ぼうっと立ち尽くす倫周に運転席から身を乗り出すようにして助手席のドアを開けると礼人は

手招きしながら叫んだ。

「ほらっ、早く乗れよ!」

その声に押されるようにしておずおずと倫周は助手席に乗り込んだ.

「何やってんだっ ばかっ!そんな格好で歩いて帰るつもりだったのかっ?

まったく、呆れた奴だな、、、」

「すみませ、、」

小さな声で倫周は言った。礼人は半ば呆れながら車を発車させ、煙草に火を点けると

「で?お前ん家はどこだ?」

そう声を掛けたが返事がないので礼人はふいと助手席に目をやった。



僅かに震える拳を握り締めて倫周は下を向いていた。2人きりになってすぐ側で見る倫周の

まるで作り物のような美しさに礼人ははっとした。その美しい顔立ちのところどころに血が滲んだ

痕がそのままに残り大きな瞳は憂いを含んで潤んでいるようで少し開け放された窓から入る

風に革ジャンの下の破れたブラウスがひらひらとなびいていてその姿は夜目にも艶やかで

傷ついた痕が生々しく先程の光景を想像させて。そんな倫周に瞳が釘付けになって横のガード

レールにぶつかりそうになり礼人は慌てて急ブレーキを踏んだ。

がくんっ、と前につんのめりそうになって。



「わっ、悪りぃ!大丈夫だったか?」

倫周は大きな瞳をぱちくりとさせていた、その姿は先程とは違いまるで子供のようで。

礼人は一瞬どきどきしたことが可笑しくなって大声で笑い出してしまった。そんな自分の行動にとっさに

反応できない倫周のきょとんとした様子が又可笑しくて礼人はぐっと運転席の背もたれに寄り掛かると

照れたように頭をかいた。

「あ〜あ、まいっちまうなあ、お前にはよぉ、、、」

そう言って又微笑んだ。何を言われているのかわからないといった倫周の不思議そうな様子に

礼人はサイドブレーキを下ろすとふっと窓の外に目をやりながら

「ほら、家どこだよ?早く言えよ、じゃねえと、、、」

そう言って倫周の瞳を見つめた。ふわりとした空気が流れるようで一瞬ときが止まったように

感じられ、、、礼人は何かを振り払うように頭を振った。



何考えてんだ?俺は、、、こいつはさっきあんな目に遭って、、、それなのに俺は、、、



心の底から湧き上がるような何かと礼人は必死に戦っていた、すぐ側の倫周に、気をしっかり

持っていないと何をしてしまうかわからないような衝動に駆られる自分に気付き、ぎゅっと拳を

握りしめた。

これじゃさっきの奴と一緒じゃねえか、、、さっきこいつを酷い目に遭わせた奴と、、、

そんな矛盾した思いと必死に戦う礼人の瞳に憂いの色が浮かんで、、、

無意識に手が伸ばされて、倫周の頬に触れた、、、

一瞬びくりとした倫周に気が付かなかったわけではないが礼人はやめられなかった、ぐいっと

その頬を引き寄せると湧きあがる衝動を抑えられなくてそのまま唇を重ねて。



「、、、!、、、」



なっ、、、どうして、、、

とっさのことに倫周の顔色はさーっと色を失くした.何が起こったのかわけがわからずに

深いくちつ゛けをされて。

「やだっ、、、」

ぐい、と力を込めて礼人を突き放した瞬間に羽織っていた革ジャンの襟が開いて中の破れた

ブラウスから白い肌が露になった感覚に倫周は慌てて両の手で胸元を押さえ込んだ。

その表情は驚愕に震えていて。

「ごめっ、、、ん、、、悪かったほんとに、、これじゃさっきの野郎と変わんねえな、、、」

突然のことに先程のことが蘇ったのか倫周を恐怖感が包み込みとっさに助手席のドアを開こうと

した。礼人はとてもハンサムで男気の強い暖かい存在だったがやはり倫周には恐怖感が伴い

本能でその場から逃げようとしたのだ。

「行くなよっ、、!」

とっさに強い力で腕をつかまれて倫周の恐怖に歪んだ瞳が礼人を見つめた。

「ばかっ、こんな所で降りるなよっ、、人に囲まれてたいへんなことになるぜ、、、

もう何もしねえから、なっ、ちゃんと送ってやっから、、、ほんとに悪かったから、、、」

そう言って本当に申し訳なさそうな顔をした。男っぽい顔が俯いて戸惑いの色を映し出して

いるようで。倫周はどうしたらいいかわからないまま、とりあえずそっとドアを閉めたけれど。



それから殆んど会話もないままに倫周の邸に向かって夜の道をただ走った。ひっそりとした

住宅街の邸の門の前で車を留めると礼人は運転席から降りてぐっと深く頭を下げた。

「今日は、、ごめんっ、、ほんとに悪かった、、」

それだけ言うと急いで車に乗ろうと走って運転席側に回って行った。

「待ってっ、、待って、ください、、、」

倫周が礼人を引き止めて、、、

「俺の方こそ、送ってもらって、親切にしてもらって、、なのに、、ごめんなさい、、、」

そう言うと借りていた革ジャンを脱いで礼人に差し出した。

「あの、、、これ、、ありがと、、、」

そう言うか終わらないうちに礼人はそれを付き返してきた。

「ばかっ、そんな格好でいんなよっ、、、いいから着てけよっ」

そう言って顔を背けた。破れた倫周のブラウスがひらひらと風に揺れて。そんな心使いに倫周は

ぼうっとその場に立ち尽くしてしまった。

「早く入れよ、、ちゃんと中入るまで見ててやっから。」

まだ顔を背けながらそう言う礼人の言葉にもぼうっと考え事をしながら不思議そうな顔をして

突っ立っている倫周に半分苛々した様子で礼人は言った。

「早く行けよっ!又変な気おこしちまう前にっ、ほら、、」

やっと我を取り戻したようにゆらりと歩き出す倫周の肩を礼人の両腕が捕まえて、ぐっと車に

押し付けた。辛そうな憂いの瞳が倫周を見つめながらしばらくは言葉もなく、、、

「気を、つけろよ、いつもそんなふうにぼうっとしてんな、、、だからあんな目に遭うんだぜ、、

俺だって自分を抑えんので精一杯なんだからよ、、、」



そう、気を抜いたら何をするかわからねえ、こいつはそんな魅力を持っていて。こいつは男だぜ?

それなのに、、、我慢できなくなりそうな自分が怖い。ふっと抱きしめてしまいそうで。

これ以上少しでも触れたら流されてしまいそうで怖いくらいだ、、、



細い肩をつかんでいた手のひらに一瞬力を入れると礼人は急いで車に乗り込んだ。

「じゃあなっ!」

そう言うとモスグリーンのチェロキーは勢いよく闇の中に消えて行った。

黒の革ジャンを手にしながら小さくなってゆく車を倫周は不思議そうに見つめていた。