蒼の国-TS Version/Dilapidation-
その年は梅雨が明けるのも早く何年か振りで猛暑となった。何かの取材で外に出ていた紫月が

社に戻って来たばかりのロビーで倫周はその姿を見掛けた。暑さのせいかびっしょりと汗を掻き

顔色は真っ青で紫月は慌てて化粧室に飛び込んでいった。あれ以来倫周は紫月から逃げるように

視線を合わせないようにしてきたので会話など勿論無かったがあまりの具合の悪そうな様子に

そっと化粧室まで後をつけた。そこには紫月以外誰もいないようだったのでこっそりと覗き込む

ように中を見ると紫月は洗面台に寄り掛かって苦しそうにネクタイを緩めているところだった。

洗面台の鏡に映った顔色がロビーで見たときよりも真っ青で、青というよりはどす黒い。余りの様子に

さすがに倫周も肩を竦めてしまった。紫月は蛇口を捻るとこぼれそうな位の勢いで水を流して

顔を洗った。ふと動いた目線の先に映ったものに倫周は驚いて硬直してしまった。

水に濡らさない為に無意識に捲り上げられた上着の袖から垣間見えたもの、それは疑惑を色濃く

映し出すものに他ならなくて。



あの痣、、、!?紫月、まさかっ、、、!?



それは普通の痣ではなかった。そう、幼い頃に見たことがある、いや、そんな男達をいつも真近に

しながら父親がよく怒っていたっけ、幼かったけど覚えてる。頻繁に見ていたから、あの痣が

怖くて痛そうでよく見ていたから。あれは、、、

嫌な予感に倫周は紫月の後をつけて最上階の私室へと向かった。そこにはもう行きたくなかった

けれどそんなことも忘れてしまう位、今までのことも全て忘れてしまう位、倫周の心は逸って、無意識に

紫月の後を追うように最上階までの道を急いでいた。

久し振りの重い扉を開けて。私室へのドアは微かに開け放されていた。

恐る恐る中を覗いた倫周の瞳に、、、!




衝撃の光景が飛び込んできた。

ワイシャツを捲り上げ、腕に注射器を差し込んだ紫月の姿が倫周の瞳に焼き付いて、時が止まった。

余程慌てていたのか絹のスーツの上着を裏返しにしたまま放り投げ、カフスも煙草も散乱して

ベッドの上には注射用の消毒液やらプラスチックケースやらがばらばらと放られて、紫月は顔を

歪めながら注射器を抜き取った。顔色は真っ青で吐息は荒くそれはいつもの紫月からは想像も

つかないような恐ろしげな光景で。そして倫周は見てしまったのだ、予測した通りの白い粉末を。

紫月は深く溜息をつくとそのままベッドに寄り掛かろうとした、その瞬間。

ドア越しにいる倫周と瞳が重なり合って、2つの瞳はお互いを捉えたまましばらく動けなくなってしまった。

褐色の大きな瞳に驚愕の表情が浮かんで。

突然に声をあげて笑い出した。大きな声で笑って。その様はまるで狂気じみていて。

倫周は恐る恐る声を掛けたけれど。



「紫、、月、、、?それ、、、」



大きな瞳が白い粉末を追う。心配そうに覗き込むように。紫月は突然笑い止むと人が変わった

ようにまるで乱暴な言葉を吐き出した。

「何見てんだよ。そんな顔して、お前も人がいいなあ。自分をあんなに酷い目に合わせたこの俺を

心配してくれるっていうわけ?ふはははっ、ほんっとにお人好しだなあ。ばかじゃねえのか?」

そんな様子にも瞳を見開いたまま身動きもとれず視線も外せない倫周の腕に手を伸ばすと

ぐいと引き寄せて紫月は言った。

「そんな顔すんなよ。それとも又酷え目に遭いてえのか?お前言ってたよなあ、毎日毎日

しつこいくらいここに来ちゃあ俺に抱いてって。そう言ってたよなあ?ふははっ、、、」

そう言って又高笑いをすると硬直した倫周の身体をベッドに放り投げて押さえ込んだ。

倫周の細い首を持って押さえつけ逃れられないようにすると真上から見下ろしながら

「抱いてやるよ、望み通りな。いくらでも、お前の身体が壊れるくらいなあ、途中で嫌だなんて

言うなよお?」

そして昔倫周に言った言葉を思い出したのかこんなことを言っては又笑った。

「そうそう、そういえば約束したよなあ。お前が俺を嫌いになる位抱いてあげる、だったけ?

ほうらじゃあ約束通り抱いてやるよぉ、倫くんっ!」

紫月は勢いよく倫周の服を引き裂くと乱暴にその細い身体を拘束していった。

その余りの勢いに倫周は必死でやめて欲しいと頼んだけれど。

「やめて、、やだ紫月っ、、やだあああっ」

それは初めて見る欲望の塊のような紫月の姿だった。まるで汚い只の暴漢のようで倫周は

いつかの倉庫でされた衝撃のことを思い出した。そんな思いが重なって益々倫周の抵抗は

強くなって、だがそんな姿は全くといっていい程、暴漢者の欲望を煽り立ててしまうもののようで。

言葉までもが乱暴になる。紫月の口から出た信じられないような汚い言葉の数々に倫周は

衝撃の涙を流さずにはいられなかった。

「こうされたかったんだろ?こうやって、俺に犯られたくって毎日ここに来てたんだろ?

犯ってやるよいくらでも、ほらもっと声出せよ、感じてんだろ?気持ちいいんだろうがっ!」

ショックだった。あの紫月が。青真珠のような肌をした褐色の瞳が眩しいくらいに美しいあの紫月が。

その昔、本心はどうであれ自分を愛しいと、可愛いと言ってくれた同じ唇から、とろけるような

くちつ゛けをしてくれたあの唇からこんな汚い言葉が出るなんて、、、

「倫、倫、可愛いよ、お前は俺のものだよ、、、可愛い、倫、、、」

そんな言葉が浮かんできて。やさしい表情が浮かんできて。やわらかな手が思い出されて。

倫周は涙が止まらなかった。もう抵抗する気持ちも失くしてしまい、人形のようにされるがままに

なりながら心は昔のやさしかった紫月だけを思い起こして、涙だけが止め処なく流れて落ちた。





暴動の後のような静けさが感じられて、ぼうっとした意識の中に隣りに横たわる紫月に目をやった。

無言のまま紫月は空を見つめていて、倫周に気が付くとぼそっとひとこと呟いた。

「行けよ。」

激しい暴行の後で何も考えられずにいる倫周に紫月はじろりと視線を送ると吐き捨てるように言った。

「行けって言ってんだよっ!それともまだ犯られてえのかよ?」

びくりと起き上がると倫周は逃げるようにその場を立ち去って行ったその瞳からは又しても涙が溢れ出て。

「ふっ、、はは、、ふははははっ、、、、」

遠ざかる足音を聴きながら紫月は高笑いした。足音が聴こえなくなる頃にはその声が次第に

曇りをみせて紫月の顔が歪む、大きな褐色の瞳からはぼろぼろと涙が零れて。

紫月は倫周の横たわっていたシーツにしがみ付くようにして声をあげて泣いた。







それから紫月はことある毎に倫周を捕まえてはその細い身体を乱暴に抱いた。

もうそれは自室のベッドに限られること無く、場所も時間も何もかもお構い無しといったふうで

倫周を見つけては大きな褐色の瞳を凍りつかせて。

倫周はそんな紫月の行為に抵抗できずにいた。どうしてもなら遼二に言ってしまうことだって

できたのにそうしなかった。何故にそうしなかったのか、何故黙って紫月の言い成りになって

いたのか、それは倫周自身にもわからなかった。自分が紫月から帝斗を横取りしてしまったこと

を引きずっていたわけではないのだろうが、只倫周にはそんな紫月が痛々しく感じられてならな

かった。どんなに乱暴なことをされても何となく紫月の深い部分にある何かが自分と同じように

感じられたからかも知れない。それは言い知れぬ寂しさとか孤独といったもののようで。

自分が小さい頃から味わったことのない温かさや安心感といったようなものが、この人にも

又無いのだと本能でそう感じたからかも知れない。

紫月自身もまだそのことを気付いてはいなかった。自分が何故これ程までに倫周に固着する

のか、何故こんなに酷いことをしてしまうのか、無意識のうちに自身の中にある寂しさや不安感を

埋めようと倫周に縋っているなどとは思いも寄らなかったし、又そんな気持ちが自身の中に

あるなどと気付いてしまえば到底正気ではいられなかったろう。

似たような想いのこの2人はやはり不幸であった。この世に存在するうちはそんな気持ちに

気付くことも無く。



「鐘崎に抱かれてるんだろう?俺が知らないとでも思ってんのか?黙っててやるだけだって

感謝してもらわないとなあ、ふはははっ、、、

さあ、倫くん、早くおいで、、ふふふふ、、、あはは、、、」

錯乱したように笑う紫月が倫周は痛々しかった。自分で慰めになるのなら、と思ってしまう程

だった。紫月は薬をやめられる気配もなくそれから半年が過ぎた頃。

運命はついぞ予想だにしない方向へと向かって進み始めたのだった。