CRIMSON Vol.47 |
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「白夜・・・・・・・・・・?」
呆然としたまま口元だけが儀礼的に声を掛け、紅月は白夜の私室の扉を開けた。
薄暗い廊下の先に、見慣れた端整な雰囲気のその部屋の、だがそこに広がっていた光景を
瞳に映し出した瞬間に驚愕の思いが紅月の心を更に深く打ち砕いた。
幾つかに積み上げられた段ボール、ベッドの上にはハンガーに掛かったままのスーツが何着も
投げ出されていて、床には靴の箱やら本やらがバラバラと積み上げられている。
そんな様子は正に引越しを示唆するものに他ならず、しばらくは言葉さえも見つからなかった。
「紅月さまっ、、、、、」
白夜は驚き、慌てて仕事の手を休めると立ち尽くしている紅月に椅子を勧めようとした。
「紅月さま、、、、どうぞこちらへ、、、、、
そんなところに立っていられると寒いです、、、、から、、、」
だがそんな声にもやはり覇気は感じられずに、どちらかといえば苦しい気持ちを押し殺すかのようにも
感じられた。
ふらふらと紅月は衝撃を隠せないといった感じで部屋全体を見回して・・・・・
「本当に・・・・・出て行くんだ・・・・・・
辞めるって・・・・本当なんだ・・・・・?明日・・・・・・出て行くって・・・・・
本気なんだ・・・・・」
「紅月さま、、、、、」
「どうして・・・・・・?
父さんは知ってたのか?いつから・・・・・いつから辞めるつもりでいた?」
「紅月さま、、、、辞職のことは、、、、本当に勝手なことで申し訳ないと思っております、、、、
けれども、、、、」
「辞めて・・・・・・どうするつもりなんだ?
どこか・・・・・新しい就職先とか・・・・もう決まってるのか・・・・・?」
「いいえ、それはまだ、、、、、当分は何処かにアパートでも借りて身の回りの整理をしながら
少し勉強をするつもりでおります、、、、就職はその後ででも、、、」
「勉強・・・・?」
「はい、、、前々から弁護士になる為の勉強を少ししておりまして、、、、それで、、、、」
「弁護士!?お前が・・・・・・?」
「はい、、、、、」
「ああ、そうか・・・・お前確か法学出てたんだったな?思い出した・・・・・
お前が僕の秘書になったとき、履歴書見て不思議に思ったんだったよ・・・・・法学なんて
珍しいとこ出てるって・・・・しかも空手部?だったっけ?
ヘンな奴とか思った・・・・何か変わってるなって・・・思ったの覚えてる・・・・・
そうか・・・・だから・・・・ウチ(一之宮財閥)を辞めてそっちに進みたいってことなんだ・・・・?」
「すみません、、、、」
「そうか・・・・そうだよな・・・・
ウチなんかに・・・・僕なんかの下で秘書なんてやってるより・・・・よっぽどやりがいのある仕事だもんな?」
「紅月さまっ!それは違いますっ、、、、私はそんなことは決してっ、、、、」
白夜は懸命に弁解したが、紅月には最早そんなことはどうでもよかった。
どんな理由であれ白夜が辞めるという事実に変わりはないわけで、そんなことを聞かされたら
脱力感が更に膨張して襲い来るかのような感覚に陥っていた。
紅月は虚ろな瞳で白夜を見ていたが、果たして本当にその瞳の中に映っているのは白夜なのかどうか
わからないくらいに漂うような瞳を持て余しているようであった。

「あんなことしたのに・・・・・・」
やがて少しの沈黙の後、まるで放心しているような口調でそんな言葉が囁かれ、白夜はハッと瞳を見開いた。
「あんなこと・・・・しておいて・・・・・・僕に・・・・・
酷いことしておいて・・・・・・それなのに・・・・・」
「紅月さま、、、、、」
「ねえ・・・・そうだろう・・・・・?
ニューヨークでっ・・・・・・あんなことっ・・・・・あんなことお前にはどうでもいいことなのかっ!?
僕なんかどうなったって・・・・・価値のない人間だからっ・・・・・酷いことしたってそんなこと平気なんだ?
お前にはあんなこと・・・・気に留める程のことじゃないっていうのか・・・・・
僕なんかっ・・・・ただの欲望を満たす道具に過ぎなかったとっ・・・・・」
「紅月さまっ!」
白夜はそこまで聞いてさすがにこらえ切れずに大声を上げた。と、同時に取り留めのないような言葉を
繰り返していた紅月の、震える肩をぐいと引き寄せると、これ以上我慢が出来ないといったように
抱き締めてしまった。
慣れた香りの真っ黒な髪が頬を撫で、自分より僅かに華奢な肩もまた、
白夜にとってそれらすべては残酷な程に愛しいものに変わりはなく、だからその存在を離れるということは
どれ程か辛いものに他ならなかったのだ。
「紅月さま、、、、、、」
だが白夜は決して自分の想いを口に出そうとはしなかった。
ぎゅっと抱き締めたまましばらくはじっとそのままで。
時折左右に揺れる頬が黒髪を愛しそうに感じ取ろうとしているだけで、何をも伝えることのないままで。
突然に秘書の仕事を辞めたい理由も、
紅月の言葉への返答も、
そして紅月を愛しむ気持ちでさえも、自身の胸の内に仕舞い込んだまま表そうとはしなかった。
「びゃ・・・・・白夜っ・・・・・・白・・・・・っ」
だが紅月の方は突然に抱き竦められて、最初白夜が辞めることで興奮の中にいたものの、
しばらく抱き締められているうちに、突如として湧き上がったいつもの欲望がみるみると姿を現して、
次第に高鳴り出す心臓の音と、瞬時に熱を持ったような頬の紅潮に驚き戸惑いながらも、
最早逆らうことなど出来はしなかった。
腹の中心から掬われてしまうような奇妙な感覚が全身を支配し、掻き乱す。
とろけ出す瞳、力の抜けていく肩先、立っていられない程に震えを伴った長い脚、
全身が目の前の男を求めて止まず、それらはまるで彼を受け入れたいと言っているかのようにも
感じられ・・・・
だが紅月はそんな自分の感情が恥ずかしくも感じられたのか、くいと身体に力を入れると
自分を抱き締めている逞しい腕から逃れるように身を捩り頬を染めた。
「嫌・・・・・・白夜・・・・・こんなの・・・・・・・・」
いけない・・・・・・こんなこと・・・・・
白夜は僕をあんな目に遭わせた酷い男なんだから・・・・・
それなのに急に辞めるだなんて言い出して、自分勝手に僕を置いて行こうとしてる・・・・
冷たくて、怖くて、酷い人間・・・・・・
そんな奴に又こんなことされて・・・・・
早く逃げなきゃ・・・・・このままだと又何をされるかわからないっ・・・・・
ああ・・・だけどっ・・・・・・
掬われるような腹の感覚は最早立っていることも出来ない程に大きく渦巻いて全身を包み込む。
ガクガクと今にも崩れ落ちそうな感覚に紅月は視点さえ合ってはいなかった。
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