CRIMSON Vol.45
その日以降、申し合わせたように紫月のプロダクションの方の仕事が立て込み始めた。

看板バンドのニューアルバムの制作があるとかで紅月と共に一之宮家の運営する財閥の社の方へは

顔を出せない日々が続いていた。

無論のこと紫月は出来る限り紅月と夜を共に過ごし、プロダクションへも家から通うよう心掛けてはいたが、

レコーディングなどで詰めになるとどうしても家に戻れないときもあった。

そんな状況を紅月はよく理解していたし、何より紫月の方に格別の不安が無かったもので安心して

2人別々の夜を過ごすことが出来たわけだった。

紫月はまさか紅月が自分と抱き合うときに秘書の白夜のことを想像しながら悶えているなどとは

露ほどにも思ってはいなかったが、

当の紅月の方は新たに抱えてしまった地獄のような苦しみに重い心を引き摺りながら、その精神は

疲れて果て、まるで神経が細くなってしまったかのような日々を過ごしていた。



紫月が出掛けた後の独りの部屋で重苦しい心を持て余し窓辺に寄り添えば、永年その紫月だけを想って

大切に育ててきた薔薇の花壇が瞳に映った。





どうしてこんなことになってしまったんだろう・・・・・・

僕は・・・・そうだ・・・・・ずっと紫月を・・・・・・

気が狂う程の永い間紫月だけを想って生きてきたというのに・・・・・どうして・・・・・・・

心ではこんなに紫月を愛しているのに・・・・それは嘘なんかじゃないのに・・・・・

身体が・・・・・・・

この身体が白夜を求めてやまないなんて・・・・・・・・

ちょっとでも触れられれば瞬時に湧き上がる淫らな感覚・・・・・抱かれたいと望む僕の身体・・・・・

触れられて、撫でられて、舐められて・・・・・・めちゃめちゃに乱して欲しいと望む僕の・・・・・

この身体が・・・・・・

白夜のことを想像したいって言っているようで・・・・・

本当は紫月じゃなくて白夜にめちゃめちゃにされたいと望んでいるようで・・・・・・

怖い・・・・・・・

僕の心はこんなに紫月を愛しているのに・・・・・・

紫月だけを想っていたいって言っているのに・・・・・・





窓辺に寄り掛かり無意識にそんなことを思い悩んでいた紅月の、だがどうにも不思議な感覚に

はっと我に返ったように褐色の瞳を見開いた。





紫月だけを想っている・・・・・・・?

紫月だけを愛している・・・・・・・?

そんな当たり前のことが妙に違和感を感じさせて−−−−−

でも何かが変だ・・・・・・

そう・・・・・だって以前なら紫月を一人で帝斗のいるプロダクションへなんか行かせはしなかっただろう、

きっと自分も付いて行ったことだろう・・・・・

いや、今は互いに愛し合い、信じ合っているのだからあえて一人で行かせても不安はないというわけか?





だが本当に正直な自分の気持ちに向き合うならばその答えは簡単だった。

愛し合い、信じ合っているから、、、、ではない。

一人で紫月を帝斗の元に行かせることがたいして気にならないのだ。

当然あるべきはずの不安の感情が全くといっていい程湧き上がって来ない。

嫉妬の気持ちでさえ又しかりで・・・・・

何故?

ほんの少し前までは絶対にこんなことはなかったろう。

いくら紫月が自分の元に帰って来たからといって永年抱えてきた叶わぬ恋慕の感情が

そうそう変化するとは思えない。

ちょっと離れれば不安で、一緒にいられれば幸せで。

そんな感情さえ今の自分には無いのだろうかという事実に辿り着いてしまって、紅月は言い知れぬ不安に

駆られていった。





僕は紫月をどう想っているのだろう・・・・・・・?

僕にとって紫月は・・・・・・・何なのか・・・・・・・・

今まで紫月をどう想ってきたのか・・・・・・・・・・・

散々苦しみ追い求めてきた日々でさえ現実の出来事のように感じられなくて・・・・・





だがそのとき悶々と不安に翻弄されながら、潤んだ瞳の先に偶然映り込んだ光景が

頭の芯を抜き取られるような衝撃を生み出した。

それは全身に冷や水を浴びせられたような衝撃の感覚・・・・・・

ふと見下ろしていた庭園の小道を歩く白夜の姿だった。





−−−−−白夜っ−−−−−





執事の若林と何かを話しながら歩くその姿が、

きちんと正された濡れ羽色の髪が、

するどい程の黒曜石の瞳が、

目に焼きついて・・・・・・・・

その瞬間、又しても湧き上がったぞわぞわとした性の欲望の感覚に紅月はゾクリと肩を竦めた。

ふらふらと逃げるように窓辺を離れて・・・・・





あっ・・・・・・・嫌・・・・・・・・・・・

嫌だ・・・・・・こんなの・・・・・・・・・・・こん・・・・・な・・・・・・・・・・っ・・・・・





慌てて縋るように身を寄せたソファーにしがみ付いても、全身を伝わる欲望は高まるばかりで・・・・・

両の腕でしっかりと肩を包み込んでも、

震える唇を噛み締めても、

妄想を振り払うように頭を振っても、

何をしても欲望を払拭することは不可能だった。

それどころかどんどん大きくうねり上がる嵐の中の波のようで。

そして又、耳元にこびりついた低い声が全神経を破壊する・・・・・・・





好き、、、、、好きだよ紅月、、、、、綺麗な俺のディレクトール、、、、、

ずっとあなたを想ってた、、、、、あなたを抱けるなんて思ってなかったけどー、、、、、、

側にいられるだけで幸せだったけど、、、、、、

ディレクトール、、、、

ディレクトール、、、、、、、





そんな言葉が繰り返し、繰り返し、耳元を追いかけてくる。

塞いでも塞いでも止むことはなくて・・・・・・





「や・・だーっ・・・・・・・・・もうっ・・・・・・何もかも嫌だっ・・・・・・・・・

僕はっ・・・・・・おかしいんだっ・・・・・・・・こんなの・・・・・僕じゃない・・・・・・・・・こんな・・・っ」





紅月は耐え切れずに叫び声を上げるとそのまま泣き崩れてしまった。

一体僕はどうしてしまったんだろう?

これからどうすればいいんだろう?

そんな不安に苛まれて。

そんな感情を煽るかのように開かれた扉の先に当の白夜の姿を映し出して、蒼白となった。

彼を目にしてぞっとする程湧き上がる欲望と暗雲が包み込むような恐怖が瞬時に全身を伝わるようで

紅月はソファーを背に寄り添ったまま大声をあげた。





「何をしに来たっ・・・・!?ノックもしないでっ!それ以上近寄るなっ!」

大声で怒りを露にするようにそう叫びながら、表情は恐怖に怯えるかのように蒼ざめ戸惑っていた。

その勢いにさすがに白夜の方も驚いた表情をしたが、すぐに落ち着きを取り戻すと静かに紅月の前に

歩み寄り丁寧に礼をしたのだ。

紅月は怒鳴ってしまったままそれ以上どうしたいのかも解らずにその場を動くことさえ出来ずにいて、

だが白夜の普段と違う雰囲気に怯えながらもふいと首を傾げるような仕草をした。

そしてその直後に、そのいつもと違う雰囲気の答えが想像もし得ないような言葉で返ってくるとは

思いもしなかったのだが・・・・



「紅月様、今までお世話になりましたが、、、、

本日限りで社長秘書のお役目を下ろさせていただくことになりました。」

丁寧に頭を下げながらそう言った白夜の言葉が信じられずに紅月の褐色の瞳はまるで無垢のように

硬直してしまった。



「今・・・・・なんて・・・・・・・?」



「お世話になりました、、、、、明日の朝こちらをお暇させていただきます。旦那様(紅月の父親)には

先程ご挨拶をさせていただきましたので、、、、、、

紅月様には本当にお世話になりました、、、、、

本当は紫月さまにもお会い出来ればと思ったのですが、、、、紅月様からどうぞよろしくお伝えください。

急なことで本当に申し訳ないのですが、、、、」

穏やかに耳に入ってくる言葉は流れるように右から左へと抜けていった。

何を言われているのか、どういう意味なのか、何をも考えられない程ぼうっとなってしまい、

紅月はその場に硬直したまま、瞬きも忘れてしまった人形のようにただただ不思議そうに白夜を

見詰めては立ちつくすのみであった。