CRIMSON Vol.41
紫月が一之宮の家へ帰って来てから一週間が経とうとしていた。

紅月は心身共に穏やかさを取り戻し、仕事に行くときから眠るときまでいつでも2人は一緒に行動した。

秘書の白夜と紫月が初対面したときも左程の争いは見られずに、だが瞳と瞳がぶつかり合って、

無言のまま互いを牽制するような雰囲気になったが、そこは立場的にも白夜が一歩引いたもので

難なく納まりを見せたというところだった。

紫月はたまに部屋で作曲をし、ピアノを奏で、紅月はソファーにもたれては心地良さそうにそれに

聴き入っていた。

穏やかな、幸せな日々だった。

紅月は最も愛する人の側でこの上ない幸福感に浸り、紫月も又懐かしい家での生活にしばらくは平穏で

幸せな日々が続いていたのだった。





春まだ浅い少し風の強い日、2人は久し振りの休日を外で楽しもうとクルージングに来ていた。

夕陽が眩しく水平線を掠めるその時刻、冷たい風の吹きすさぶ甲板で、互いの体温で温めあうように

ぴったりと寄り添いながら、瓜二つの瞳は沈みゆく夕景を楽しんでいた。



「ねえ・・・・紫月・・・・・・・」

「ん、、、、?なんだ?」

何気ない問い掛けがこんなにも幸せに感じられ、紅月は信じ難いような現実に怖いくらいの心持ちでいた。

「本当によかったの・・・・・・?」

「何が?」

「ん・・・・・だからさ・・・・僕のところへ帰って来てくれて・・・・さ・・・・・・

本当は後悔してるんじゃないかって・・・・・粟津くんのことも・・・・・・・・」

寂しそうに、不安そうにもじもじと下を向きながらそんなことを呟いている紅月に紫月はくすりと微笑むと、

やはり穏やかな声色で返事を返した。

「ばあか、、、、そんなこともう気にすんなって言ったろ?

家に帰ったのは俺の意思なんだし別にお前のことは関係ねえよ。

それにさ、、、、、俺だってお前と一緒にいてえし、、、、

あ、、、ホントだぜ?

言ったろ?俺、お前といるとイロイロ我慢がきかなくなっちまうって。

今だってそうさ、、、、、こうしてお前を側に感じるとさ、、、、、」

軽く髪を撫でながらそんなことを言っている紫月の瞳が僅かに熱を帯びてくるようで・・・・

眩しい程の夕陽に照らされて少し潤んで見える彼の瞳に熱く見詰められ、それらが次第にとろけ出す・・・・・・

そうして見詰め合ったままどちらからともなく引き寄せられるように近付いた。

軽く頬が触れ、そして探り合うように唇が重なって・・・・・・

燃えるような真っ赤な水平線にゆらゆらと引き込まれる夕陽が溶け合う頃、紫月と紅月も又、

熱く、強くお互いを求め合っていった。

軽く重なり合った唇を奪い合うように絡め合って、肩を抱き、頬を摺り寄せ、瞳と瞳を交差させ・・・・





「好き・・・・・・紫月・・・・・・・・・・愛してる・・・・・」

「俺も、、、、、好きだよ紅、、、、、お前が、、、、、、」

熱く、激しく奪い合い求め合った。

春まだ浅い、2人だけの幸せの時間−−−−−





けれどもそんな穏やかな日々に僅かながら狂いが感じられるようになったのは、意外にも

それから僅かの後のことであった。

毎夜肌を重ねながら眠る最も愛する人の腕の中で、紅月は得体の知れないような不安に

苛まれるようになっていく。

大きなベッドに寄り添ってキスをして、肌を重ね合う。この上もなく幸せであるはずのひとときが

目に見えない暗雲で覆いつくされるかのように微妙なずれとなって姿を現して来ていた。

毎夜僅かずつ感じるその感覚は日を追う毎に少しずつ大きくなっていくようで、恐ろしさとも

何とも言いようのないその感覚に紅月は次第に悩み塞ぎ込むようになってしまっていたのだ。








−−−−−何故・・・・・感じられない・・・・・・?−−−−−








それは酷い焦りの感覚だった。

永いときを経てようやく取り戻せた愛する紫月の腕の中に包まれていても、本来あるはずの

性の悦びの感覚がここ最近殆んど感じられなくなっていることに気が付いた。

唇を寄せ、素肌と素肌を重ね合い、寄り添って身体のすみずみを丁寧に愛撫されても

どうしても反応じられないのである。

ふとそんなことに気付いてしまってからというもの、それはまるで恐怖となって紅月をおし包んだ。








−−−−−どうして・・・・・・?何故反応じられない・・・・・・こんなに紫月を愛しているのに・・・・

        あんなに望んでいたことなのに・・・・・・何で僕は・・・・・・・・こんなことって−−−−−








このままじゃ紫月に気付かれてしまう・・・・・っ・・・・・

焦る心はより一層に拍車を掛けていくようで、どうしようもないその感覚に初めは虚偽の嬌声を

漏らしていた紅月であったが、身体がまるで反応してくれない苦痛に手酷い痛みを負ったように

次第に心は閉ざされていった。








−−−−−僕は不感症になってしまったのだろうか?−−−−−








そんな思いに悩み苦しむうちに口数は少なくなり、終いには夜が来るのが恐怖に感じられるようにまで

なってしまっていた。

そんな様子に紫月の方も薄々は何か変だと疑問に思ってはいたものの、その原因が何なのか、

何故紅月がこのところ沈んでいるのかが解らないまま何となく騙し騙しにときは過ぎて行った。



そんな或る午後のことだった。

溜まった作曲をプロダクションへ届ける為に紫月が久し振りに帝斗のもとを訪れることになったのだ。

紫月はあれ以来帝斗に会ってはいなかったが、仕事のこともあって何度か電話で連絡のやり取りを

してはいたのだった。

だが、だからといって未練があるとかそういった感じは特にないようで、帝斗に対しては若干の

気遅れはあったものの、それが気変わりであるとかの感情は見られなかった。

それでも紫月は紅月の気持ちを気使い、一緒にプロダクションに行かないかと持ち掛けたが、

紅月はそれを断った。

無論、帝斗に対する申し訳無さはあったし、だからこそ久し振りの2人だけの時間を邪魔したくないと

いう気持ちも嘘ではなかったが、それ以上に独りになりたいという本能の方が強かったのだ。





僅かに微笑みながら紅月は紫月を駐車場まで送ると、弱々しい声でぽつりと呟いた。

「行ってらっしゃい紫月・・・・粟津くんには呉々もよろしくね・・・・・・ごめんね・・・・紫月・・・・・」

そんなふうに気使う紅月の肩をふいと抱き寄せるとやわらかに頬を撫でながら紫月は言った。

「大丈夫だって。変な気、使わなくていいんだぜ?それに、、、、俺もコレ(作曲)渡したら

すぐ帰って来るし。じゃあな!」

そんな言葉がとびきりやさしくて、そんな様子にも紅月は胸が痛んだ。

「ゆっくりして来て・・・・・・・

ごめんね・・・・紫月・・・・・・・・」

ガレージから出て行く車を見送りながら紅月は言いようもない気持ちに締め付けられた胸が苦しかった。





本当に・・・・・・ごめんね紫月・・・・・・・・・