CRIMSON Vol.70
再びこみ上げた言いようのない孤独に耐えるように流れる涙を拭いながら、足早に向かった先は自分の部屋、

つまりは紫月の専務室であった。紅月と共に一之宮の邸へ帰る以前はずっと暮らしていたその部屋。

すべてのものから逃げるように駆け込んだその部屋の扉を開けた瞬間に予期もしなかった見慣れた存在が

目に飛び込んできて紫月はハッとなって涙を拭った。

そこには自身のプロデュースする新人ロックバンドのメンバーのひとり、かつてはよく帝斗と共に可愛がっていた

倫周が大きな瞳をクリクリとさせながら自分を見上げていた。



「紫月ーーー!久し振りだー・・・・元気だったー???

このところ会わないからどっか出張でも行ってんのかと思ってたー。ああーん、ホントに久し振りー・・・・

なんか懐かしいくらいだよね?」

にこにこと何の屈託もない笑顔はまるで変わらない。そんな無垢な姿を映し出した瞬間に、紫月の内部で

何かが弾けてしまったのだろうか?思わず目の前の存在を抱き締めたい衝動に駆られた。

もう何がどうなっても構わない−−−−−

今ここにいる無垢な存在をも壊して、もっともっと酷い人間になってしまいたい−−−−−

すごく嫌な人間になりさがってしまえればそれでいい、、、、もう後のことなどどうにでも、、、、、

ほんの一瞬そんな思いが頭の中を駆け巡り。

だが呆然と視点の定まらないままでそんなことを考えていた紫月の耳にまるで疑いのないような素直な

言葉が飛び込んできてハッっと我に返った。



「ね、紫月・・・・聞いて。俺ね・・・・・今すっごく幸せなんだー・・・・・・」

「え、、、、、、、?」

見ればぽっと頬を紅く染め上げて恥ずかしそうに自分に寄り添う倫周の姿を映し出して紫月は思わず

伸ばしかけた手を止めた。

「あのね、俺・・・・好きなひとができたんだ・・・・・・」

モジモジと恥らいながらそんなことを言っては自分を見上げる大きな瞳にしばし呆然となってしまう。

瞬間的に湧き上がった残酷な妄想が一気に冷めていくのを感じながら、しどろもどろに紫月は訊いた。

「好きな、、、、ひと?」

「うん・・・・紫月も知ってる・・・・・同じバンドのメンバーの・・・・遼二と・・・・・・」

「遼二?」

「うん・・・・遼が俺のこと・・・・好きだって・・・・いうから・・・・」

「そ、そうか、、、、、」

「ん・・・俺も・・・・前から遼のことはちょっといいなとか・・・思ってて・・・・えへへ・・・・

だから・・・付き合うことになったの俺たち・・・・・男同士だしヘンかなーとかも思ったけど・・・・

でも・・・好きだから俺・・・・遼のこと・・・・・」

「そ、そう、、、、、なんだ、、、、」

「ん・・・・・おかしいかなやっぱり・・・・俺たち・・・・・」

「あ、、、、いや、、、、全然、、、、」

「ほんとっ!?」

「ん、、、、おかしくなんかねえよ、、、、別に、、、男同士とか、、、、そんなの関係ねえよ、、、、

好きならそれが一番、、、、、、」

「だよね?じゃ・・・じゃあさ・・・・紫月も応援してくれる?俺と遼のこと・・・・・怒ったりしない?」

「なんで俺が、、、、怒るわけ、、、ねえよ、、、、なんで、、、、そんな」

「うん、そうだよね!よかった・・・・バンド仲間だしスキャンダルにでもなったらって・・・・怒られるかと思ってた」

「そんなこと、、、しねえよ、、、、、、」

「うん・・・ありがと紫月。帝斗にもちゃんと報告しなきゃ・・・・・」

「あ、ああ、、、そうだな、、、、まだ言ってないのか?帝斗、、、、、に、、、、」

「うん、これから。だって帝斗、一応社長だし・・・・怒られるかなあとか思ってて・・・・えへへ・・・」

「ばか、、、、怒らねえって、、、、」

「そうだよね!じゃあさ、もし帝斗がダメーって言ったら紫月助けてよね?

紫月の言うことなら帝斗絶対聴くもんねー?」

「そ、、、んなこと、、、、、」

「うふふ・・・・・頼んだよ?じゃあ・・・俺・・・遼二が待ってるから!」

うれしそうにそう言うと倫周はすっくと立ち上がってにっこりと微笑んだ。

「あ・・・・そうだ。明後日からリハーサルなの。だから紫月に見に来て欲しいって、皆(バンドのメンバー)が。

ホントは俺、それを頼みに来たんだー。だからよろしくね!」

「あ、、、、ああ、、、わかった、、、行くよリハ、、、」

「うん、ありがと!じゃあね!」

とびきり幸せな、まるで咲き零れる春の花のような微笑みを浮かべて倫周は去って行った。

そんな姿を見送りながら紫月の意識は再びは呆然となっていった。

ふらふらと側にあったソファーによろけるように腰掛けて・・・・・・・



「ふん、、、、っ、、、、幸せそうな顔しやがって、、、、倫の奴、、、、」



苦笑いのような笑みを浮かべながらそれでも紫月は少しだけ自分のことのように喜べる感覚がうれしく

感じられたのか、ふうーっと深く溜息をつくと上着を脱ぎ捨ててソファーの上へ寝転んだ。





あんなふうに、、、、

もしも紅月とのことがなかったらなら俺と帝斗もあんなふうに幸せそうにしていられたのだろうか?

それとも、、、もしも帝斗と巡り逢っていなかったなら、、、、

俺は紅月と愛し合って過ごしたのだろうか?

どっちにせよ、普通にシアワセな恋ってやつをしてたりしたのだろう、、、、

どうしてこんなになっちまったんだ、、、、

紅月のことも、、、、

帝斗のことも、、、、、

俺はどうしたら一番よかったんだろうか、、、、、?

いろんなことがある度に、、、

どうすれば一番よかったのかなんて考えたってわからない、、、、

今はもう、、、、どちらにせよ紅月も帝斗も俺を必要としていないのだろうから、、、、

誰も、、、、俺のことなど、、、、、



ああ、、、、、もう疲れた、、、、

何も考えたくなどない、、、、

何も考えないで、、、、このまま眠れたら、、、、

そして二度と、、、、目が覚めないならそれもいいとさえ思える、、、、

このまま、、、

このやわらかなソファーに包まれてると何だか安心出来るような気がするよ、、、

そう、、、このまま、、、、ずっと、、、、、





暮れかけた午後の日差しが色白の頬を包み込み−−−−−

知らない間に紫月は深く眠りに落ちていった。

穏やかな寝顔は、或いは何をも知らなかった頃の幸せな夢でも見ているのであろうか?

ずっと張り詰めていた彼の傷ついた心を癒すように眠りのベールが包み込み−−−−−





どれくらい経ったのだろう。

気がつくとまだ蒼い闇に包まれた自身のベッドの上にいた。心地好い眠りはそのせいだったのだろう?

側には着ていたはずのスーツが身綺麗にハンガーに掛けられていた。少し解かれたシャツは寝苦しさを

やわらげてくれたらしく、快適な眠りの感覚はベッドのもたらすものに他ならなくて・・・・・





「いったい、、、誰が、、、、?」





寝ぼけ眼で記憶を追う・・・・・・

不思議とあたたかい安心感に包まれた気がしてふとまわりを見渡せば、ふいと飛び込んできた眩しさに

くっと瞳を細めた。

ゆらゆらと青く光っているその眩しさはどうやらパソコンの画面のようで、紫月はまだぼんやりとした

目を擦りながらベッドを降りると、そちらの方へと歩み寄った。



「俺パソコンなんか開いたっけ、、、、、?ンなわけねえよな、、、、

だって昨日の夕方久し振りに此処に帰って来て、、、、、だから、、、、」



不可思議そうに首を傾げながら眩しげに目をやった画面を見た瞬間に思わず引き寄せられるように

紫月はハッと我に返ると食い入るようにそれを見詰めた。

記されているらしい文字を大きな瞳が追いかける・・・・・

画面に刻まれた文字を確認し終えた瞬間に、きょろきょろと辺りを見回すと逸ったように窓際へと駆け寄った。

そして広い窓から眼下に目をやれば、見慣れた車が駐車場を後にするのが確認出来た。





「あっ、、、、、、、、!」





思わず漏れる小さな感嘆の声。

そしてうっすらと明るみを増した空の色が大きく見開かれた紫月の褐色の瞳を照らし出していた。



「帝斗、、、、、、、、、」



たった今まで帝斗が此処にいた?



遠くなる車の陰を追いながら自身を包み込んでいた何とも言えないような安心感と

僅かに残る懐かしい香りに驚いたように呆然となりながらも、

紫月はパソコンの画面に残されたメッセージに再び目をやった。