CRIMSON Vol.54
目の前に繻子のような黒髪が揺れている。

もう傾き出した春の陽に透けるように軽い巻き毛が懐かしくて、、、、、、

ふと無意識に差し出した指先が今にもその肩を捉えてしまいそうになって白夜はそれを抑えるように

拳を握り締めた。



「ねえ白夜・・・・・・そういえばさ、お前若林(執事)の焼くフルーツケーキが好きだったよな?」

急に明るい声でそう振り向かれて白夜は又も驚いて瞳をぱちくりとさせてしまった。

「あれさ、今度持って来てやる・・・・・! 若林に言って焼いてもらったら・・・・・一本丸ごと!」

「えっ!?

あ、、、、、あははは、、、そうですか?そういえば若林さんって柄に似合わず御菓子作りとか

なされてましたよね?

あのフルーツケーキは旨かったな、、、、、」

「だろ?だから持って来る、今度。 あ・・・・・何時がいい?お前仕事にはまだ行ってないの?」

「あ、ええ、、、まだ勉強しなければならないこともたくさんありますし秋頃から本格的に勤められたらと。」

「そう・・・・なら今週とかはまだ暇あるんだ。だったら今度の休みに持って来る。」

「え?ええ、、、、じゃあ、、、楽しみにしてます、、、、、」

「ふふ・・・・じゃあそろそろ僕行くね。又・・・・・今度の休みに・・・・来るから・・・・」

少し照れくさそうに俯き加減で微笑むと紅月はふと頬を染めた。

そんな様子を白夜は複雑な心境で見詰めながら明るく微笑んで部屋を後にする姿をぼうっと

見送っていた。















紅月が一之宮の邸に帰ったのはもう夕方になっていたが、同じ頃邸近くまで帰って来ていた紫月は

重たい心を抱えていた。今日もとりあえず出社はしたものの、何をするにも手がつかずに

胃の痛むような重苦しい一日を過ごしただけで終わった。そうして帰宅し又紅月と一夜を共に

しなければならないと思っただけでより一層の重苦しさが押し寄せてくるようだった。





楽になりたい、、、、、、

少しでいいから、、、、紅と離れて眠りたい、、、、、





そんな思いで胸がいっぱいになっていた紫月はその晩思い切って紅月に切り出したのだった。

レコーディングがあるから又しばらく家に帰れそうにない、と。

半ば逃げ口上のようなそんな嘘であった。だが紅月はそれを聞くとまるで都合がよかったとでも

いうような面持ちで快く承諾をしてよこしたのだった。あまりの呆気なさに紫月は少々戸惑ったが、

とりあえずこれでしばらくは紅月と離れられると思うだけで心が軽くなったのは確かであった。

彼の妙に明るい楽しそうな様子も多少気にならないこともなかったが、とにかく紫月は一時でも

早く安堵の感を得たかったのである。

そうして紅月紫月兄弟は又一週間程のときを別々に過ごすことになる。















紫月がプロダクションの自室へと出掛けると紅月の方は待ち切れないといったように次の休みだけを

楽しみに待っていた。執事の若林にフルーツケーキを焼いてもらい、楽しそうにはしゃいでは

使用人たちとも明るく打ち解けている様子に、皆はこのところ多少様子のおかしかった紅月のことを

心配していた者も安堵の表情を浮かべていた。

そうして逸る心に押されながら紅月が菓子を手に再び白夜のもとを訪れたのは陽気のいい休日の

昼過ぎ頃であった。








「お待たせ白夜!ほらぁ、約束のケーキだぜ?」

にっこりとうれしそうにケーキを差し出しす紅月の訪問を白夜は多少複雑な思いで迎え入れた。

くるくるとうれしそうに部屋ではしゃぐ、そんな姿をぼんやりと見詰めていて・・・・・・

「ねえねえ白夜ー、ケーキ食べたら散歩行こうよ!ほらー、あの倉庫の向こう・・・・・

あそこくらいまでは歩けるだろう?」

まるで違和感の無く、明るい彼の様子にも白夜は複雑な思いでいたが、黙って従っていた。

散歩をしながら隣りを弾むように歩くその姿も、時折寄り掛かりながら腕に掴まってくるその感覚も

まるで以前のままで、それらは何の違和感もないかのように紅月は自然に振舞っては楽しそうに

白夜の側で微笑っていた。公園のアイスキャンディーを買ってベンチにもたれて海を見て・・・・・・

夕方頃までぶらぶらと歩き回って白夜の部屋に辿り着いた頃は2人ともさすがに草臥れたというように

帰るなりソファーに身を預けた。

大きく身体を伸ばし、息を吸い込んで・・・・・・・

「ああー、疲れたー・・・・・・よく歩いたよなあー。ねえ白夜・・・・・・」

紅月は気持ち良さそうに伸びをして、ふと隣りに腰掛けている白夜の方を振り返った、、、、、



「白・・・・・・っ」



無言のままじっと見詰めてくる切れ長の瞳に捉えられ、一瞬声もうわずって、、、、、、

ほんのひとたびときが止まった、、、、、、





「な・・・・・に・・・・・・? なにか・・・・・・・」





視線を外すことなく見詰められ、少々戸惑ったように紅月は小さな声で聞いた。

そしてようやくと白夜の口元が動き、声が聞えたと同時にふいと頬に手を当てられて、紅月は

ビクリと肩を竦めた。







「何故、、、、、、、?」

「え・・・・・・!?」

短い、たったひと言のその問いと、突然に頬に当てられた掌の熱が瞬時に全神経を麻痺させる・・・・・

どきどきと高鳴り出した心臓の音と共にしばらく忘れていた感覚が突如として姿を現して紅月はそのまま

動けなくなってしまった。



大きな掌に添えられた頬が熱い・・・・・・・

見詰めてくる黒曜石の瞳も、

さらさらと額を覆う黒髪も、

シャツの襟からちらりと覗いた鎖骨にも、

そのすべてが瞬時に自身を引き込んでしまいそうで怖い・・・・・・・

少しの間忘れていた感覚が蘇り。

腹の底から掬われるような感覚が蘇り・・・・・・

紅月はたまらずに瞳を揺らした。と同時に頬に添えられていた掌にも僅かに力が込められて・・・・・・

気付けば今にも唇が触れ合う程近くに顔を寄せられていて思わず瞳を瞑って俯いた。





「白夜っ・・・・・・・・」





どきどきと心臓の音が耳にうるさい程に鳴り響く。

ほんの僅かの沈黙の間も触れ合いそうなくらい近くに白夜の唇を感じて、紅月は全身が火照るように

熱くなっていくのを感じていた。

「あ・・・・・・白・・・・・・・夜っ・・・・・・・・・」

漏れ出す吐息も熱くなる。

揺れていた瞳もとろけ出して・・・・・・・

朦朧とする意識の中で、やはり少し逸ったような白夜の低い声を感じてどうしようもない気持ちに

駆られていった。





「どうして、、、、紅月、、、、、、何故あなたは此処にいるんだ、、、、、、、」

「え・・・・・・・・・・?」

「どうして、、、、、紫月さんは知っているのか?

それに、、、、、、何で俺なんかのところを訪ねて来る、、、、、、、

勝手にあなたの側を離れて来た男のところへなど、あなたを裏切ったような卑怯な秘書のところへなど

なんでっ、、、、、、、」

「なんで・・・・・って・・・・・・・・だって・・・・・・・」

「どうして、、、、、、!? それにっ、、、、、、」





それに、、、、、、





近過ぎてよく見えなかったがほんの一瞬白夜の瞳が辛そうに歪んだような気がしていた。

そして僅かに触れ合ったような唇の感覚に流されそうになったとき、突然にぐいと肩を押され突き放されて

紅月は驚いてソファーの上に硬直してしまった。





「帰ってくれ、、、、、、、、」





自分を突き放しながら俯いたままの状態で白夜はたったひと言そう言った。