そんなふうにして遼二との生活にも少しずつ穏やかさが見え初めていた頃だった。

ある意味倫周はテント小屋での生活に未練を残し、又紫月らのことが気に掛かりながらも

新しい環境に馴染もうと努力をしていた。自分を想ってくれる遼二の誠意に応える為に、これからは

精一杯彼の力になれたら・・・・・そうすることで、自分が懸命に生きることで紫月らに育ててもらった

ことへの恩返しにもなれば、とそんなふうに思うのが精一杯だった。

そうしてしばらくは穏やかにときが流れているかのように見えた。けれども運命は静かなときの流れを

そのままにはしていてくれず、言い換えれば倫周に本当に望む人生を歩けと促すかのように

それは少々複雑な形で姿を現したのであった。





倫周が遼二のもとで暮らし始めてからひと月も経った頃、それは頼まれ物の書類を届けに行った

帰り道でのことだった。

少しずつ遼二のサポート的な仕事にも慣れ始めたこの頃、ふいと通りすがった公園に

テント小屋での懐かしい雰囲気を感じて倫周は足を留めた。

頃は眩しい程に太陽が照りつける夏の午後−−−−−



あ・・・・・ここ・・・・・似ている・・・・・・

テント小屋の近くにあったあの公園と・・・・・

いつもこうして夏の午後になるとクーラーが無い部屋よりは涼しいからって紫月と涼みに行っていた

あの公園・・・・・・・



何不自由ない設備の整った遼二の邸で夏本番を迎えた倫周は、そんなこともすっかりと忘れていたの

だったが、でもだからこそ突然に思い浮かんだその感覚に、いてもたってもいられずに意識とは

関係なく、気が付けば足はその公園を目指して駆け出していた。

電車を乗り継ぎ、時間も忘れて必死で辿り着いた懐かしい町並みに、どきどきと心臓が高鳴り出し、

逸る心を抑えながら倫周は公園へと向かったのだった。

途中誰かに見つからないかと肩を竦めながらも辿り着いた懐かしい場所の、瞳の先に映った光景は

瞬時に頭の中を真っ白にしてしまう程衝撃的なものだった。

そこには木陰に腰掛けたままうつらうつらと居眠りをしている紫月の姿をはっきりと確認して・・・・・





紫月っ−−−−−−−





倫周は思わずそう叫びそうになった。

風にそよぐヘーゼル色の巻き毛がやわらかに陽に透けて・・・・・・

余程疲れているのだろうか?くったりと木に寄り掛かったままぐっすりと眠り込んでいるようで。

そんな懐かしい彼の衣服を目にした瞬間に、倫周の大きな瞳からはぼろぼろと涙が溢れ出てきた。

相変わらずに少々撚れたような木綿のシャツを引っ掛けて、時折吹き抜ける風が心地よさそうに

それらを揺らす。襟元の肌蹴た下からは色白の懐かしい肌が見え隠れしていて・・・・・



「紫っ・・・・・・」



すべてのことがどうでもよかった。

彼らのもとから離れて行った後ろめたさも、親切にしてくれた遼二の存在も、

そしてその遼二に抱かれ彼のものになったことさえどうでもよくて・・・・・・・

何もかも失くしてしまっても構わない・・・・・・

そんな自分に天罰が下るというのならそれもいい・・・・・・

誰に何と言われようと、どんな仕打ちを受けようと、たとえそれが紫月本人からの罵倒であったとしても

構わないっ・・・・・・・・

すべてを捨てて、何も考えずに飛び込んでしまいたかった。

今、木陰でうたた寝をしているその彼の、懐かしい胸に思い切り・・・・・・

飛び込んでしまいたいっ−−−−−−





紫月・・・・・・

紫月・・・・・・・・・

紫月ーっ・・・・・・・・・・





俺は紫月を・・・・・・・愛している・・・・・・・・っ!

本当に大切なものは紫月だ・・・・・

貧しくてもいい、

クーラーなんか無くてもいい、

自分を愛していると言ってくれた遼二を傷付けたとしても・・・・・・・

本当に欲しいものは紫月なのだということに気が付いて。

倫周は遠く木陰から紫月の姿を見詰めながらぎゅっと唇を噛み締めた。





走り出してしまえっ・・・・・

何もかも捨てて・・・・・・

その結果どんなことが待っていようとも・・・・・・

紫月に罵倒され受け入れてもらえなくても・・・・・

その結果遼二に見捨てられても・・・・・

そうして本当に孤独になってしまったとてそんなことはどうでもいいっ・・・・・

今はただ・・・・・

もう一度だけあの胸に飛び込んでしまいたいっ・・・・・

もう一度だけ、許されるものならば・・・・・・

懐かしいあの胸に飛び込んで、やわらかな髪に触れてみたい・・・・

かつて幾度もくちづけたあの熱い唇に今一度触れることが出来たなら・・・・・・

もうどうなったって構わない−−−−−





倫周はふらふらと歩き出し、瞳に映るのは唯ひとりのみ・・・・・・

けれども走り出そうとしたその瞬間に、ふいと耳に飛び込んできた会話にビクリと足が止まった。

それは衝撃の言葉・・・・・

通りすがりの如何わしげな男連れのひそひそとした会話であった。

「おい見ろよ、あれ、、、、」

「ああ、、、例のテント小屋の奴か、、、気の毒にな?あそこもじきにたたまざるを得ないだろうよ?」

「そうだな、、、、まあ あんな商売だ。移り変わりの激しいのは世の常ってーのは仕方ねえことだがな。

日に日に客が減っちまってるって噂だぜ?ちょっと前までは案外流行ってたのにな?」

「何せ看板のマロン(倫周の舞台名)がいなくなっちまったんじゃ客も寄り付かねえって、

そりゃ仕方ねえよなー?」

「ああ、あの犯られ役のキレイな小僧か?何でも男とどっかへ逃げちまったって噂だぜ?」

「へえー、そうかい。まあ あいつもあんな商売はうんざりだったんだろうぜ。ま、仕方ねえよなー?

普通の神経してりゃあんなとこにおとなしく居る方が無理ってもんだ。」

「そりゃそうだ。けどまあちょっと気の毒だよな?あいつ、オーナーの片割れだっけ?

いつもああしてあそこで寝転んでよ?住みかを追いだされるのも時間も問題みてえだぜ?」

「ふーん?そうなんだ、そいつぁ気の毒にな。 まっ、明日は我が身ってなこともあるしよ、俺らも

ふらふらしてられねーさ。」





耳元を掠め、通り過ぎていくそんな会話に倫周は蒼白となった。

顔色は真っ青になり、ガタガタと身体中が震え出して・・・・・・



マロン(自分)がいなくなったから、、、、、?

客が減って商売が成り立たなくなって、、、、、

紫月たちが困っている、、、、、!?



どきどきと心拍数が激しくなりながら ふいと振り返った先に、起き上がりパタパタと服の埃を

振り払う紫月の姿が映り込んだ。

ほうっと深く溜息をついて、懐かしい褐色の瞳は切なそうに寂しそうに揺れているようだった。

そんな紫月を迎えに来たのだろうか?遠くの方から剛が走って来る姿を見つけて倫周はとっさに

木陰に身を潜めると、衝撃で高鳴っている心臓を押さえるように胸に手を当てた。





剛・・・・・・・・

紫月・・・・・・・・・・・

そして帝斗・・・・・・・・・っ

他のみんなも・・・・どうしているだろう・・・・

俺は・・・・

どうしたらいいんだっ・・・・・・・





やもたても堪らずに倫周は一目散に駆け出した。

遼二の待つ邸を目指して息を切らし、どんどんと景色が飛んで行く。

そうして邸に辿り着くと、すべてが目に入らないといった感じで遼二の部屋へと駆け込んだ。



「遼二っ・・・・・・遼っ・・・・・」

そのあまりの慌てように遼二は驚いて大きな瞳を顰めたが、倫周のただ事で無いような表情を

目にするとすぐに心配そうに首を傾げた。

「どうした?倫周、すげえ慌てようだな。何かあったのか?」

そう聞くや否や倫周は大声で叫び出した。

「遼二っ・・・・・ごめんっ・・・・・・・俺っ・・・・・・

俺・・・・やっぱり此処にはいられないっ・・・・・・」

「へ、、、、?急に何言い出すんだお前、、、、、何かあったのか?」

「うん、うん・・・・・・たいへんなんだ・・・・・・

紫月たちがっ・・・・テント小屋が・・・・・潰れそうなんだっ・・・・・・・

だからっ・・・・」

「テント小屋が?何だって又・・・・・」

「俺のせいなんだっ・・・・・・

俺がいなくなったから客が減って商売にならなくなって・・・・・・だから・・・・」

そこまで言って遼二の険しい表情に言葉を止められた。

「何言ってんだお前!?

お前がいなくなったから客が減ったって?だから何だよ?

もともとはあんな商売させてるあいつらの方がおかしいんだぜ!?

あんな小屋潰れたって何だってお前のせいなんかじゃねえよ!

お前、、、、まさか帰ろうなんて思ってるわけ?帰って又あんな舞台に立つ気なのかよっ!?

あんな酷いことさせてた連中に同情してるとでも言うのか!?

だいたいっ、、、、、

どっからそんな話し聞いて来たんだっ!?まさか、、、、、

まさか、、、、帰ったのか、、、、、?

あいつらに会って来たとでも言うのかよっ!?

え、、、、、?どうなんだよ倫周、、、、、、、何とか言えよっ!」

耐え切れずに遼二は怒鳴った。

倫周の言っていることが理解出来ず、信じられず、苛々と気持ちが荒がって、、、、、



「ち、違う・・・・会ってなんかないよっ・・・・・・でも・・・・・・

でもっ・・・・・・」

「でも、、、、、何だよ、、、、、、」

「今日、行ったんだ俺・・・・・・紫月たちの・・・・あのテント小屋の近くまで・・・・・・

それで・・・・

偶然通りかかったオヤジたちがそう話してんのを聞いて・・・・・・

だから・・・・・

だから紫月たちが困ってるんだったらと思って・・・・・」

「困ってるんだったら何だよ、、、、、お前が帰って稼いでやるとでも言いたいのかっ!?」

「そ・・・・・んな・・・・・

稼ぐなんて・・・・・大それたことじゃないけど・・・・・・

でも何か力になれたらって思って・・・・・・だから帰ろうと・・・・」

「馬鹿野郎っ!」

パン、と音と共に遼二の掌が倫周の頬を叩いていた。

「りょ・・・・・遼・・・・・・・・・」

「あっ、、、、、、ごめ、、、、、ん、、、、悪ィ、、、、」

二人は互いに驚き、見詰め合って、、、、

ほんのひとたびときが止まった。





「ごめん遼二・・・・・

俺やっぱり此処にはいられない・・・・・・

お前には本当によくしてもらって・・・・・・心苦しいんだけど・・・・・・・

でも・・・・・」



でもっ−−−−−−



「でもやっぱり心配なんだっ・・・・・

紫月のことがっ・・・・・帝斗のことがっ・・・・・・・それに・・・・

テント小屋は俺の育った家なんだっ!

遼二には本当によくしてもらって・・・・・此処での生活は本当に楽しかったけどっ・・・・・・

でもだめなんだ・・・・・

俺には忘れられない・・・・・・

忘れようと努力したけど・・・・・遼二の側でやっていこうって思ったけど・・・・・・

だめなんだ・・・・・・

どんなに酷いところでも・・・・

どんなに貧乏でも・・・・遼二の言うようによくない仕事だとしても・・・・・・

あそこが俺の家なんだよ・・・・・・

家って呼べるのは・・・・俺にとってはあそこだけなんだ・・・・・

家族っていえるのも・・・・・

紫月と・・・・・そして帝斗たちなんだ・・・・・・

遼二には本当に感謝してるけど・・・・・・」

涙を零しながらそんなことを言う倫周が信じられなかった。

遼二も又驚愕に瞳を強張らせて。





「どうしても、、、、行くのか、、、、、?

俺がこんなにお前を想っていても、、、、?

お前無しじゃいられねえくらい愛してるって言っても?

それでも、、、、、行くのか、、、、、?」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



「あんなとこ、、、、お前にあんな酷いことさせてた連中のとこなんて、、、、、

帰ってほしくねえよ、、、、此処に、、、居た方がずっと幸せになれる、、、、そうだろう?

何不自由なくさせてやる、、、、だから、、、、頼むからもう一度よく考えて、、、、、」

縋るように、確かめるように遼二はそう言った。

けれども倫周は大きな瞳に涙をいっぱいに溜めたまま、辛そうに俯いているだけで・・・・・

そんな様子が遼二には信じられなかった。ある意味衝撃でもあった。

明らかに幸せと思える自分との優雅な生活を捨ててまでテント小屋に戻りたいと言う倫周の

心の内がどうしても理解出来ずに。

だがしばらくの後、心の整理をするかのように遼二は倫周の頬に手をやると、重たい口を開いた。