不埒なテント小屋-愛惜の巻- |
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駆け落ちのような形で遼二の家に来てから既に一週間が経とうとしていた。
遼二はさすがに良家の御曹司といったところで、広大なこの邸内で行き交う人々が皆丁寧に頭を下げる、
そんなことにまるで違和感のなく紳士的な微笑みを手向け機敏に仕事をこなす姿を側で見ながら
倫周は不思議な感覚に捉われていた。
確かに此処にいれば生活に不自由などひとつも無かった。
「お前を幸せにしてやるぜ」
その言葉の通りに遼二はやさしく親切で、急な環境に戸惑う自分のことをこれ以上無いくらいに
気遣ってくれているのを充分過ぎる程感じていた。
だが倫周にとって今まで体験したことのないような豪華な生活は、やはりどことなく落ち着かないものが
あったのか賑やかな昼間のひとときが終わって夜が訪れる度に、心の中に穴が空いたような感覚に
陥ってしまうのも事実であった。
まだ仕事の終わらない遼二の帰りを待つ独りのこの時間が耐え難いもののように感じられて。
俺は何て贅沢なんだろう・・・・・・
こんなによくしてもらって、何不自由の無い生活をさせてもらって、昼間は遼二に付いて
彼の仕事を見聞きしながらゆくゆくは秘書のような形で一緒にやって行こうな、とまで言ってもらって。
そんな満ち足りたはずの環境の中で心配事など何も無いはずなのに・・・・・
この一週間遼二に付いて歩いていて彼がどんなに人望が厚く自社の皆に信頼があるかということは
よく理解出来た。何処に行っても明るい彼の周りには人々が幸せそうに寄って来る。
中でも強い憧れの視線を、頬を染めながら送ってくる女性陣の多いことといったら溜息が出る程であった。
そんな遼二の取り巻き連中が自分を羨望の眼差しで見ていることも充分伝わってきて、
それはひとつに倫周の飛び抜けた容姿のせいであるのも否めなかったが、だがやはり遼二が倫周を
余程大事そうに扱うのが大きな原因であったと言えよう。
彼は何処へ行っても堂々と自分のブレーンに倫周を紹介し、時折少々照れながらも
「こいつは俺の大事な右腕だからよ」
と、そんなふうに紹介をした。
確かに文句の欠片もあるはずは無かった。今までのように如何わしい商売に心身を痛めることも無く、
安定し、人々にも大事に扱われる今の生活は何処をとっても理想そのもので。
けれども倫周にはどうしてもしっくりと心から馴染むことの出来得ない此処での生活に、それは自分の
我が侭に他ならないのだと呵責の念にさえ捉われ始めていたこの頃は、確かに満たされているとは
実感出来ないでいたのも又事実であったのだ。
そんなふうにして心身共に少し重たい心持ちのまま漂うように窓の下に瞳をやれば、やわらかい灯りに
照らされて見事な程の庭園が目に入った。
綺麗に整備しつくされた立派な邸の、立派なその庭。
生まれて此の方見たこともないような豪華な環境が恐ろしくさえ感じられて、
そんな光景に気重に溜息を漏らせば懐かしいテント小屋での日々がふいと心をよぎった。
紫月・・・・・・どうしているだろう・・・・・・?
帝斗や剛、京にビル・・・・・・当たり前のように側にいた彼らのことが思い出され倫周は胸が痛んだ。
貧しかったけれど皆陽気で明るくて、自分にやさしく接してくれた。
苦しい思いも確かにあった。その貧しさ故に学校で苛められたりしたことも・・・・・
けれども自分を取り巻く彼らはいつもやさしくて、その中にいると不思議と安心出来て、違和感も無かった。
苦しいからこそ、貧しいからこそ、皆がひとつになって懸命に力を合わせてきたわけで、
そんなことのひとつひとつが思い出される度にズキズキと胸が張り裂けそうな思いに駆られるのを
感じていた。
紫月・・・・・・帝斗・・・・・・・っ・・・・
そう、あれは何時だったか・・・・・
学校の授業参観の時だった・・・・・
クラスの友達が皆、うれしそうに母親を振り返り 手を振ったりしている中で、自分だけはいつも
授業参観の日が嫌で嫌で仕方なかったこと・・・・・
この日とばかりに華やかな出で立ちの親たちの中で、いつも質素な格好で教室の後ろに立っている
紫月と帝斗の姿がとても嫌だった。
スーツのひとつも着てくれない・・・・・
いつもアイロンの掛かっていないような綿のシャツに着古したようなズボンをはいて、けれどもうれしそうに
自分に手を振ってくる彼らのことが恥ずかしくて仕方なくて。
そんなイベントのあった日の後には必ずといっていい程クラスメイトにからかわれるのが又嫌で、
授業参観の日が大嫌いだったこと。
今にして思えばそれがどんなに勘違いで、大それた思いあがりであったかということが酷い後悔を通り越して
そんなこともいい思い出になってはいたが、この豪華な邸の様子を見ていたらふいとそんなことが
思い出されたのだった。
紫月・・・・・・
俺の為に忙しい仕事を放っぽってまで授業参観に来てくれたのに・・・・・
運動会だって、男所帯だったけれど皆んなで応援に来てくれて・・・・
あの時もお昼ご飯を食べるのがとても恥ずかしかった・・・・・
友達は母親の作った華やかなお弁当を お化粧の匂いと共に家族でうれしそうに囲んでいて・・・・
けれども自分はいつも帝斗らが作ってくれた形の悪い大きすぎるおにぎりだったのが酷く嫌だった・・・・
何て俺は我が侭だったのだろうと、倫周は苦笑いを漏らした。
けれどもそんな笑みと共に大粒の涙が頬を伝わるのを感じて・・・・・・
「あ・・・・・・・」
瞳に映り込んでいた広大な庭園があっというまに姿を失くした。
溢れ出る涙は止め処なく頬を伝い、ぽたりぽたりと窓辺に落ちて・・・・・・
「紫っ・・・・・月・・・・・帝斗ー・・・・・・っ・・・・・」
やがて うっ、うっ、と声を上げながら倫周は泣き崩れた。
我が侭だった幼い日の自分のことが思い出されれば、それは必要以上に紫月らへの愛惜の思いに
拍車をかけてしまうようで、しばらくは流れ出る涙は止まってくれそうにもなかった。
紫月っ−−−−−
思い出すのは紫月の笑顔。
やさしく自分を抱き締めた、
そしてこんなことをさせてすまないと切なそうに謝ってばかりいた紫月の褐色の瞳が浮かんでは
又止め処なく涙が溢れ出た。
いつの間に眠ってしまったのだろう・・・・・?
泣き疲れて、気が付くと倫周は遼二の腕の中にいた。
広い居心地のいいベッドの、逞しい腕に抱きかかえられるように眠っていて・・・・・
ふいと瞳をやれば、穏やかな寝息と共に遼二の男らしい胸元が目に入った。
もそもそと倫周は起き出して。
遼二・・・・・・・
なんて長い睫毛・・・・・形のいい男らしい眉毛に熱い情熱そのままの唇・・・・・・
逞しい肩に大きな掌・・・・・
やさしくて、親切で、頼りがいがあるこの男に又自分は甘えようとしているのだろうか?
側にいろと言われたから、
幸せにしてやると言われたから、
不確かだがお前が好きだと言われたから?
今まで自分を育ててくれた紫月や帝斗を放ってこの男の好意に流されるように甘えようとしている
自分が嫌だ・・・・・っ・・・・・・・・・
倫周は再び痛み出した胸に手をやりながら、又も湧き上がった涙を振り払うようにぎゅっと
唇を噛み締めた。
「んー、、、、、?
どうした、、、、、倫周、、、、?起きたのか?」
そんな言葉にハッと後ろを振り返れば、くいと大きな掌に腕を取られて倫周はビクリと肩を震わせた。
「遼二・・・・・・・俺・・・・」
「なんだ倫周・・・・・お前泣いてんの?」
遼二もハッっとしたように瞳を見開くと寝ぼけ眼を擦りながら慌ててベッドの上に起き上がった。
「どうした倫周?何を泣いてる?
何かあったのか?黙ってねえで何でも言えよ、、、、、?」
遼二は心配そうにそう言うと、ふいと倫周の頬に手をやった。
「あっ・・・・・・」
倫周は又ビクリと肩を竦めて・・・・・・
「何でもないんだ・・・・・・・何でもない・・・・・・・ただ・・・・・」
「ただ、、、、?」
「うんん・・・・・・別に・・・・・・」
しょんぼりと言い辛そうに俯いてしまった頭ごと抱きかかえるように遼二は倫周を引き寄せると、
軽く髪を撫でながら呟いた。
「なあ、、、、倫周さ、、、、、お前、、、、俺のこと嫌い?」
「へ・・・・・・?」
「いや、、、、その、、、、さ、、、、、
俺、お前のこと、、、、好きなんだ、、、、、ってやっぱおかしいよなあー、、、、
けどよ、、、、ホントなんだ、、、、、
だから、、、、、」
だから−−−−−
「お前のこと、、、、、」
遼二は切なそうに瞳を細めると、そのままじっと倫周を見つめた。
頬に手をやり、肩を抱き寄せながらときがとまったように見詰め合って・・・・・・
「りょ・・・・遼・・・・・・二・・・・・・?」
「倫・・・・・・・・・」
引き寄せられるように唇が重ねられ・・・・・・・
「まっ・・・・待って遼二っ・・・・・・・俺っ」
「何で、、、?嫌か?俺が、、、、、、、嫌いか?」
「そんなん・・・・じゃない・・・・・・」
でも−−−−−
「でもっ・・・・・・・」
「頼む倫周っ、、、、俺、、、、もう我慢出来ねえっ、、、、、、」
そう言うと遼二は抱き締めていた倫周の身体をベッドへと押し倒した。
「遼二っ・・・・・遼っ・・・・・・」
「倫周、、、、黙ってこのまま俺のもんになっちまえっ、、、、、
お前、寂しいんだろ?此処に慣れるのだけで精一杯で、、、、テント小屋が懐かしかったりするんだろ?
だから泣いてんだろ?
でもそのうち慣れる、、、、此処での生活にも慣れて、辛かった今までのことなんてすべて忘れられるときが
来るよ、、、、必ず来るから、、、、、、
幸せにしてやるから、、、、、、お前も俺を見ろよっ、、、、、
これからは俺だけを見て、、、、、、今までの辛かったことなんか全部忘れちまえっ、、、、」
「遼二・・・・・・・・」
遼二の瞳は熱く、けれども酷く切なそうに揺れていて、その戸惑いをはっきりと感じることが出来て
倫周も又切ない思いに瞳を細めた。そして覚悟を決めたように小さく俯くと、
「わかった・・・・遼二・・・・・・・お前の好きなように・・・・・・」
そう言った。
「倫周?」
「うん・・・・・いいよ・・・・・抱いて・・・・・・・俺をお前のものに・・・・して・・・・」
「倫っ、、、、、、、、!」
見つめてくる遼二の黒曜石のような瞳は真っ直ぐで、自分に対する想いがありありと溢れ出ているようで。
倫周はそんな気持ちを振り払うことが出来なかった。
こんなによくしてもらって、こんなに想ってもらって、けれども自分は何も返せない・・・・・
今自分が遼二にしてあげられることといったら彼に抱かれる、そのくらいしかないのだろう・・・・・・
こんなにも求められて、返すものが何もないなんて・・・・・
俺にはこんなことくらいしかお前にしてやれることはないんだ・・・・・・・
だから・・・・・・
遼二がそう望むのであれば・・・・・・
「ごめん・・・・遼二・・・・・・・俺にはこんなことくらいしかお前にしてあげられることがないんだ・・・・・
本当に・・・・・ごめんね・・・・・」
「ばかっ、、、、倫、、、、もう泣くなよっ、、、、、、本当に、、、、、」
愛してるから−−−−−
そうして倫周は遼二の逞しい腕の中で再び涙を流した。
それは複雑な涙だった。
やさしくしてもらって幸せで、
求められて戸惑って、
けれども自分には何ひとつ返せるものなどなくて。
紫月らに対する懐かしさも相まってか心は今にも潰れそうな程揺らいでいた。
どうしていいのか、どうしたいのかも解らずに流されるままに人に甘えている自分が嫌で嫌で
仕方なかった。だからせめても誰かの役に立てるのであれば・・・・・・
そんな思いが全身を押し包み、けれども心の底から求めるものとは何かが微妙に違っているようで、
それが色白の頬を伝う涙となって倫周を包んだのであった。
涙にくれながら遼二の腕に抱かれ、揺らされて−−−−−
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