蒼の国-妖花の宴-
安曇はその時かなり苛々しながら歩いていた。

なんでも多勢に無勢の戦いを効率良く進めるためにお互いに一番相性の合った部隊に配属されるとかで

宴会やら武芸試合やらを行って交流を深めようというわけらしい。

今日は初日ということで蒼国の人間は皆各々の部隊長に招待されていた。

丁度、蜀より呉国入りしていたあの有名軍師、諸葛孔明の邸に呼ばれたのが安曇というわけだ。

と、もう一人。

安曇が先程から苛々しているのはこのもう一人のせいであった。

柊倫周。



全く、なんだって俺がこんな奴と一緒に行かなきゃならないんだ!こんな得体の知れない何考えてるか

わかんないヤロウと!

そんなことを考えながら安曇は隣を歩く倫周にちらっと目をやった。

っち!気取った顔しやがって!何だってんだよ、こいつときたらいつだってろくに話もしやしない!

親切に話しかけてやったってどうでもいいような返答しかかえってこないし、視線だって合わせやしない。

かといって反抗的というわけでもなく、そういうはっきりしないところに安曇は腹が立っていた。

「ちょっと綺麗な顔立ちしてるからって気取ってんなよっ。」

小さな声が口をついて出た。

さすがにまずいと思ったのか横目でちらりと隣を見たが、相変わらずどこを見ているのかいないのか、

といった様子に安曇は又 腹が立った。





孔明の邸に着くと煌々と松明が焚かれていてその歓迎振りが伺えるようだった。

「ようこそ、お待ちしておりましたよ。」

品のいい声が奥の方から聴こえてきた。諸葛孔明だ。

これがあの有名な!

安曇は胸が高鳴った。いきさつはどうであれ自分は今、あの歴史的に有名な軍師を目の前にしていると思うと

高揚せずにはいられなかった。

「さ、こちらへどうぞ。」

品のいい声に案内されて邸の奥へと向かいながら安曇はふっと隣りを歩く倫周に目をやった。

こいつ!また平気な顔していやがる!自分はかの有名軍師に会えてこんなに高揚してるっていうのに!

こいつには感情ってもんがないのかよ!?もし宴席で失礼な印象を与えたらどうしよう、などと

思うと又 苛立つのがわかった。





席に通されゆったりと宴が始まると、それはまるで異世界のような錯覚が全身を心地よく包んでいった。

運ばれてくる数々の料理。仕えの者に指示をする孔明の所作。

そんなものを見ながら安曇はぼんやりとしていた。まるで今このときが現実のものとは思えないような

ともすれば 気だるさまでが伴う程の雅な世界、本当に自分は1800年前に来ているのだろうかという

夢のような錯覚さえも現実のものとして捉えられなくて。

そんなとき ふいに耳に飛び込んできた流麗な声にはっと我にかえると、安曇は驚きで目を丸くしてしまった。

そこには何と隣りで倫周が話しているではないか!

いや、いくらこいつだって初めて呼ばれた家で話くらいはするだろう、だけど、、、!

安曇が固まったのはそんな事ではなくて。

丁寧で落ち着いた話し方、流れるような所作、これらを流麗、というより他になくて。

そこには今まで見たこともない倫周がいた。

いや、俺だけが知らなかったのか、、、?

とにかく安曇はあっけにとられた、というより狐につままれたような表情で固まってしまった。

なんなんだ?こいつ、やっぱりわけが解らない、、変なやろうだぜ!

安曇がぶつぶつと小さな声で呟きながらそんなことを思っていたとき。



「そちらの方はずいぶんおとなしいのですね、お料理、お口に合いませんでしたか?」

品のいい声に安曇は はっと我に返った。

「すみません、いえ、ちょっと緊張してしまって・・・ごめんなさい。」

と顔を赤らめるとその様子が可愛いといった感じで孔明は優しそうに微笑んだ。

「さ、食後酒ですよ。」

そう言って綺麗な杯に入った酒が出された。

「後でゆっくりお茶をお出ししましょうね、外国の方にお勧めの珍しいものがあるのですよ。」

安曇はちょっと恥ずかしそうにしていたが歴史的有名軍師にそう言われて又 胸が高鳴った。

恥ずかしさを隠そうと安曇が出された杯を一口、くちにしたところで信じられない言葉が耳に飛び込んできた。



「お前、先帰ってろ。」



倫周は平然とした調子でそう言うと安曇の杯を取り上げて一気に飲み干した。

その上、あろうことか「こいつは先に帰しますので。」などと言っている。



「ふざけるなっ、いい加減にしろよっ、何だってんだよ、お前はっ、、、!」



孔明の前だというのによほどに押さえ切れなかったのか、ドンと卓を叩いて立ち上がると

取り留めの無いようなことを叫んだ。その頬を怒りで真っ赤に紅潮させて、

今までの不満をさらけ出すように安曇は倫周につっかかった。だが、

大きく肩をならしながら睨みをきかせた安曇の様子に格別驚きもせずに倫周は又してもとんでもない

理不尽なことを平然と言ってのけた。

「こいつ、酒乱なんです。酒を飲ませるとろくなことが無い。」

そう言って安曇の手をつかむと戸口へ向かって歩き出した。

あまりの唐突さに安曇はすぐに状況がつかめなかったが、戸口の外へ連れ出されると我に返ったのか、

つかまれた倫周の手を思いっきり振り解いた。

「いい加減にしろーっ!何なんだ!?てめえはっ!」

荒がる感情が抑えきれなくて がたがたと震えながら怒鳴り散らした。だがそんな様子にも倫周は格別

慌てる様子もなく、荒がる安曇の両肩をぐいとつかまえると、しっかりと自分の方に向けさせた。

突然に強い力で肩をつかまれて、安曇は我に返ると同時に怒りに満ちた瞳で倫周を睨み付けた。

「一体っ、何なんだよっ!?その手を放せよっ!」

振り解こうとしたが肩は倫周の両手でしっかりとつかまれてどうにも動かない。

こいつ、こんなに力あったのかよ、、、

綺麗な顔立ち、華奢に見える女のような手、そのギャップにわけが解らなくなった。

もうどうにでもなれ、と再び暴れだそうとすると、倫周は慌てもせずにそっと顔を近付けて耳打ちをした。



「おい、気をつけて帰れ。ゆっくり歩いて、走るんじゃないぞ。」

何言ってんだ?こいつ?

頭、おかしいんじゃないのかよ?

力では勝てないと悟ったのか、安曇は思いっきり倫周を睨みつけると 思いの丈を叫ぼうとした、そのとき。

ふいに耳元に顔を近付けると倫周は小さな声で、でもとても穏やかな声で囁くように言った。

「いいか、慌てずにゆっくり歩いて帰るんだ。」

え、、、?

何言ってんだ、と困惑した表情で見つめる安曇の肩をもう一度しっかりと両の手で支えると倫周は

真っ直ぐにその瞳を見つめながら早口で囁いた。

「本当に、落ち着いて歩けよ。何があっても慌てるんじゃないぜ?」

突然にぐんと近くで見つめられて安曇は何だか自分の頬が熱くなるようでぎゅっと繭を顰めた。

なんだよ、、、!

急に赤らんだ自分の顔が恥ずかしかったのか、とっさに視線をそらした。

そんな安曇に倫周は急ぐような声でこう続けた。

「帰ったら蘇芳に言って早めに迎えをよこしてくれ。じゃ、頼んだぞ、安曇!」

突然名前を呼び捨てられて唐突な事を言われて肩を押されて、わけが解らないまま歩き出した。



「やあ、すみませんね。お待たせしまして。」

倫周が孔明に言っているのだろうか、、、ぼうっとした意識の中で流麗な声を聴きながらふわふわと

おぼつかない足取りで歩いていた。



かつん、と何かにつまずいたように足を取られて少々苛立ちながら辺りを見渡した。

「っ痛え、、、何だってんだよ、こんな何でも無い所で転ぶなんて!今日は一体!あいつといい、俺といい、

もうわけがわからねえ!」

そう叫んだがふっと、自分のつま先に力が入らないことに気付いた。



「え、、、?」



つま先に手をやると安曇はさっと蒼ざめた。

手のひらの感覚が無い?

落ち着いて!こぶしを握ろうとしたけれど、やっぱりしびれているようで感覚が無い!

何で、、?どうしてこんな、、、何か、、?

何か慣れない物でも食べたのか、と思って一生懸命考えてはみたがこれといって思い当たらない。

じゃあ何が、、?今までこんな体調の変化は無かったし、一体、、、?

不思議に思う安曇を一瞬ぞっとさせたもの。



「あの酒、、、?あの酒に何か、、、?」



お前、先に帰ってろ。

そう言って自分の杯を取り上げた、あのときあいつの杯は、、、

まだ一杯だったはずだ、、、あいつも一口二口、口を付けて、、、それから、それから、、、

がしがしと頭を掻き毟りながら安曇は先程までのことを必死に思い返そうとしていた。

じゃあ あいつはそれに気付いて俺を帰したのか、、、?

あの酒に何か入ってると気がついたから?だからわざとあんなことを言って?俺を助けたっていうわけか?

じゃあ、、、じゃあ、あいつは、、、?今頃は、、、?

どす黒い不安が襲い・・・

いてもたってもいられずに来た道を引き返した。

ようやくの思いで邸に着いた時は。

すでに赤々と燃えていた松明は消えてひっそりとしていた。



柊、、、?

もうここにはいないのか?

状況の見えない不安が安曇を襲う。

静かに戸口を開けて中に入ってみると・・・

薄暗い灯りの先に人の気配がした。

「ひいらぎ?」

安曇は恐る恐る声をかけたが返事は無かった。

一瞬恐怖ともつかないものが襲ったが、安曇の足は何かに引きずられるようにずるずると奥へ向かった。



「辛いのですか?」                                 



ゆっくりと誰かの声がする・・・・

「誰・・・・諸葛・・孔明の声?」

それは先程の聞き覚えのある声だったが、何かが微妙に違っていた。

だがその何か、に気付くまで左程時間はかからなかった。

声の主はゆっくりと続けた。

「あなたが、いけないのですよ。だって、あの子を帰したりするから。」

声は楽しそうに笑った。

その近くで苦しそうな別の声がした。言葉にならないうめき声だけが。

何かに取り付かれたように安曇の足が運ばれて。

その先に声の主であろう2つの影。

安曇はその光景に凍りついた。





「あなたがいけないのですよ。だって、あの子を帰したりするから。」

「、、、ぁあ、、、い、、や、、、、」

「泣いているのですか?そんなに辛いのなら何であの子を帰したりしたんです?あなたには解っていたのでしょう?

こうなる事が、そんなにあの子は大事な人なんですか?まさか愛していたりして、、、

でももう遅い、あの子の分も楽しませてもらいますよ。」

そう言うと声の主は又楽しそうに笑った。

「あの子? あの子って、、帰したって、、、?俺のこと?、、、!楽しむって、、、?」

じゃあ、隣にいるのはやっぱり柊?なのか!いったい、、、!





「ひぃ・・・っ!」

その光景に安曇は思わず悲鳴が漏れた。薄暗い灯りの照らしたもの、2つの影。

声の主は間違いなく諸葛孔明のもので。そして、その腕の中に白い肢体が揺らめいていて。



「あ・・っ・・ぁ・・・」        



辛そうに漏れ出した荒い吐息がうねるように木魂して。

そんな様子に楽しそうな孔明の声が重なり合って木魂する。

安曇は目の前が真っ暗になった。とっさに身をひるがえし

視線をそらしたもののすぐには動けなくて。

先程の酒のせいか体のしびれもどんどんまわっていくようで、、、



「誰? 誰かいるのですか!?」



安曇の気配に気付いたのか、一瞬強張ったような孔明の声がした。

がたがたと身体は震えを増して、まるで歯と歯が合わさって音が出てしまう程に震えてしまって。

何がそんなに怖いのか、自分だって一応あの蒼竜の剣を授かるほどの身、

武術には自信があったし孔明1人相手にする位、何てことはない。そう、たやすことなのに、、、!

なぜこんなに震えているのか、あの酒のせいか?目の前の光景があまりにショックだからか?

どうでもいいことが頭の中で交差する。

今は考えている場合じゃないのに、、倫周を助けなきゃいけないのに、、どうしても体がいうことをきかないっ、、、!


っ、、どっ、、、、

「どうしてっ、やめろおー!」そう叫びそうになった時。

もっと信じられない言葉が耳に飛び込んできて安曇は全身の力が抜けた。

張り詰めていたものが一気にすうーっと冷めていくようで。

そう、物音に気付いた孔明が様子を伺おうと立ち上がったその瞬間。

「待っ・・・て・・いか、な、い・・・・で」

やっとの思いで出したのか、掠れた声。

弱々しい、でも間違いない。

ひいらぎ? 柊の声?



「行かな、いで孔明・・・こっち来て抱い・・て・・・・」

お願い・・孔明・・・!



安曇は真っ白になった、目の前が真っ白で。

どんどん冷めていく感情。

視点の定まらぬまま 気が付けばもう自分達の幕舎の目の前まで来ていた。