蒼の国-陽炎- |
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空の低い日、しめやかに孫策の葬儀が行われた。
あの雪の日から倫周の瞳には何も映らないようだった。
普段からどこを見ているのか捉えどころのない瞳がいっそう翳りを増してまるで殻のようになっていた。
誰かにうながされるまで動くこともせず、まるで人形のように瞬きさえもままならない。
瞳は開けられたまま、遠くの景色を見ているようだった。
葬儀の間中、遼二の腕に支えられ、導かれないと何も出来なかった。もはや倫周にはそれが
孫策の葬儀の場だということさえ理解出来てはいないようだった。
「記憶を封じ込めてしまっています。自分自身でさえわからないところで。本能なのでしょう、
自身を守る為です。ずっとこのままではよくない、、、」
潤が心配そうに言うと、他の蒼国の面々も倫周のこの様子には心が痛んだ。
孫策を失って護衛の職も必要なくなった倫周を周瑜が引き取ることを申し出てきたのはそれから
間もなくのことであった。
周瑜は他の部隊に就かせるよりは孫策とは幼馴染でことのいきさつをもよく知っている
自分の元に置くのが倫周にとって一番いいでしょうからと、帝斗に申し出ていた。
帝斗らはこの周瑜の気持ちは心から有難かったが心配もあった。
申し訳なさそうに帝斗が言う。
「しかし今の倫周はまるで廃人の状態です。いつになったら取り戻せるのかも分かりませんし、
こんな状態ではかえってご迷惑になってはと、、、」
心苦しそうにそう言う帝斗に周瑜はゆるやかに微笑むと自身も又生気の衰えたような表情を
しながら呟くように言った。
「よいのですよ。倫周は伯符が心から愛しんだ初めての相手なのですから、せめて私のところに
置いてやりたいのです。伯符と一番近かった私の側で少しずつでも自分を取り戻してくれたら、
きっと伯符もそう望んでいるはずですから。」
穏やかにそう言う声も心なしか憂いを帯びているようで、周瑜とて幼い頃からずっと一緒だった
親友を亡くしてやはりその心に重いものを抱えていた。
帝斗はそんな周瑜の様子を感じながら静かに瞳を閉じた。
「では、どうぞよろしくお頼みいたします」
もはや帝斗には倫周を引き止めておく理由が何もないことにその心もまた辛そうであった。
しかし倫周自身の幸せを思えば、やはり周瑜の元に預けるのが一番よいであろうと、
帝斗は思ったのである。
風がまだ遠い春の到来を待ち焦がれている季節。
倫周は人形のような状態のまま、周瑜に引き取られて行った。
倫周が周瑜の元に引き取られてどのくらいが経った頃。
日毎に景色が明るくなり春の訪れを感じさせる暖かな日が続いていた。
周瑜は特別何を話し掛けるわけでもなく、何をさせるわけでもなく、ただ普通の日常を倫周と共に過ごした。
自分の目の前で生活のことや仕事のことを淡々と送っているその人に倫周は不思議と安らかな
感情を芽生えさせていた。
その日、緩やかな午後の日差しの中、庭の手入れをしていた周瑜のもとに倫周が自分から側へ寄り、
庭を見渡す座椅子に腰を下ろした。珍しいことだと思いながら周瑜は倫周に目をやった。
倫周の瞳はどこか遠くを見ているようだったが周瑜は手を休めると倫周の隣に腰を下ろした。
何を話すわけではない。ただ2人で一緒に座っているだけで。
「ねえ、孫策はもういないんだよね。」
ぽつりと呟く声が聴こえて。
・・・・・・・・・・・・・え?
突然の、唐突な言葉に周瑜は不思議そうな顔で倫周を見た。
くるりとこちらを向くと倫周の瞳がはっきりと周瑜を捉えるのがわかった。
倫周・・・・?
「だけど俺は生きていかなきゃいけないんだよね。あなたと孫権様を助けて呉の未来を
見届けるんだよね、そうやって、約束したから。」
遠くを見ながらそう言われた言葉に周瑜はとても驚いて、しばらくは返事が出来なかった程だ。
倫周は驚いた瞳で自分をじっと見つめる周瑜の胸にそっと顔を埋めると
「ありがとう、周瑜さま・・・」
小さな声でそう言った。
そう言った肩が震えていた。
自分の胸に顔を埋めて小さく震える倫周に周瑜はその名を呼んでみた。
「倫周・・・?」
正気 なの・・・か・・?
まだ肩が震えている。
顔を隠すようにして震えるその肩を周瑜が抱き起こすと大きな瞳が潤んで、
こらえ切れずに大粒の涙がこぼれた。
「倫周・・・!」
でも、寂しいんだ、、とても、とても、寂しくて、怖くて、、わかっているのに・・・
必死に声を殺そうとしたけれど 涙は止まらなくて。
周瑜はぐい、と倫周を抱き寄せた。
「我慢しないで泣け。私が側にいてやるから。お前の涙は誰にも見えないように隠していてやるから。
今は我慢しないで思う存分泣け、倫周。」
倫周の瞳が周瑜を捉えて。
綺麗な顔立ちをぐしゃぐしゃにして倫周は泣いた。
受け止めてくれる胸は不思議とあたたかくて。
泣けなかったのだな、倫周。お前はずっと泣きたかったんだな、泣いて悲しみを軽くしたかった
のに、泣くことさえ忘れてしまっていたんだな。安心して泣くといい、今は、私が側にいるから。
周瑜はそんな倫周の姿を自分に重ねているかのようだった。
遠く空を見上げると、もう傾きかけた春の日差しが2人をやわらかく包んだ。
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