蒼の国-愛しい者へ-
蒼国の幕舎に着いたのはもう陽が傾きかけてきた頃であった。

皆各々の任務から帰った時分だったので孫策の訪問は非常に驚かれて、皆がとっさにもてなしの

気使い等を始めてばたばたと慌しかった。

一番驚いたのは遼二である。先程の今、といった事で一体何が起こったかとはらはらした様子だった。

国の君主の長子が突然に訪ねて来た上、しかも蒼国の代表になっている粟津帝斗を名指しで面会を

申し込まれたのだから、皆が何の騒ぎかと焦るのも最もであった。



にこやかに帝斗が顔を出してこの君主長子に丁寧に挨拶をした。

相変わらずの端整な佇まい、しなやかな立ち居振る舞いの中にひとつ凛としたものが通っているような

紳士である。

帝斗は挨拶を終えると孫策を広間の卓に案内した。こういった君主の家系の訪問にあたり

人の目につかない室に通しては失礼だと思い、ましてやここは戦国の時代であるからして

大広間で人が多い場所を選んだのだった。

当然、話の内容は皆に筒抜けになる。

帝斗にとってそれは偶然であって必然ではなかったが。

穏やかに帝斗は挨拶をした。

「ようこそお運び下さいました。そちら様には日頃は柊倫周がお世話になりまして。」

と当然の挨拶をしたのだが、気の早い孫策は

「うむ、今日は実はその事でお願いに上がった。」

と切り出したのである。

孫策はいきなり立ち上がると 真っ直ぐに帝斗を見つめながら言った。

「粟津殿、こちらの柊倫周殿を私の専属護衛に貰い受けたい。どうかお許しを下さらぬか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?

この孫策の言葉にその場にいた蒼国の面々が一瞬手を止めた。

あまり唐突な話の内容に驚く以前に行動が止まってしまったのである。

しかしそのあとの孫策の言葉で更に全員が硬直してしまった。



「粟津殿、私は倫周を愛しております。それ故、彼を側に置きたいと思っている。」



え?



蒼国の面々は度肝を抜かれたようであった。あまりにストレートなその表現にしばらくは誰も

口が利けないといった感じだった。

遼二はもう目を白黒させてしまい事態を把握しようと精一杯、といった感じである。

それは他の面々も同じであったが。



同じように側で話を聞いていた安曇はどきどきと胸が速くなるのを感じていた。

どんどん鼓動が早くなって足の力が抜ける程不安になって隅っこから動向を見つめていた。

安曇にはこの立派な面持ちの君主長子がひどく眩しく映り、とっさにこんな人ならこうして堂々と

自分の思いを告げられるのだ、等と思うと寂しさとも憧れともつかない胸の詰まりを感じたのである。



苦しかった。

孫策が立っているその姿が、帝斗が何と返事をするのかまでの時間の長さが、

倫周がこの立派な人に求められているこの事態が、全てが苦しく感じられ、いてもたってもいられなかった。

安曇は自分の倫周に対する思いに気がついてしまうまでそんなに時間は掛からなかった。

胸の潰れる様な思いで必死に目を瞑っていると、安曇の耳に帝斗の声が聴こえてきた。

どきどきが早くなる。一体、帝斗は何と返事をするのか?

どうかお願い!だめだと言って、、、!

無意識に祈るような自分に気が付いた。

、、、、、、、?

まさか? 俺は柊を好き、、、なのか、、、

安曇は驚愕した。

そんなとき ゆっくりと穏やかな口調で帝斗の声が耳に飛び込んできた。



「愛して、おられるのですか?」

帝斗はそう静かに尋ねるとこう続けた。

「倫周のどこを愛されたのでしょう?」

帝斗の言葉は短かかったがその言葉にはまるで「この短い期間にあの子のどこを気に入られたのでしょうか?」と

言っているようだった。

すぐに迷いのない答えが返って来た。

「全てだ。」

さすがにこの答えには帝斗も驚いた様でその穏やかな顔にほんの少し険が浮かんだ。

帝斗は孫策を見つめると質問を変えた。

「もしも倫周があなたの思っているような人物ではないとしたら、どうです?」

非常に含みのある云い方だ。裏を返せば「あなたには倫周のことは何も解っていない」とも取れるようでもあるし

もっと酷いいい方をすれば「倫周の過去も何も知らないのに軽はずみな事を言うな」とでもいった感じだ。



帝斗は黙っていた。黙って孫策の答えを待っていた。そう言われて恐らくうろたえるであろう、その返事を。

蒼国の面々もこの異様な対峙を息を呑んで見守っていた。

孫策は動かない。

周瑜も又全くといっていいほど落ち着いているようであった。



しばらくの間をおいて孫策が答えた。

よく通るはっきりとした声で、男らしい話し方であった。





「俺はあいつの全てを愛している。たとえあいつがどんな奴でも、あいつの過去がどんなものでもかまわない、

それがあいつなのだったら、俺はその心も身体も過去も未来も全てをもってあいつを、

倫周を受け止めてやりたい。」





一同は静まり返った。驚きとも何ともいいようがない、といったふうで呆然となってしまい一頻り

沈黙の重い空気が漂った後、帝斗は黙ったまま孫策の前に歩み寄ると胸に手を当てて静かに礼をした。

「あの子を、倫周をよろしく頼みます。あなたのお役に立ててやって下さい。」

そう言うと顔をあげて孫策の目を見た。そして孫策だけに聞こえるような小さな声で言った。



「あなただったら、あの子を幸せにしてくださる、、、」



それだけ言うと帝斗は瞳を閉じた。

「失礼、孫策殿。この場は下がらせて下さい。」

そう言って足早に自室へ引き上げて行った。



帰りはもう陽が沈んで当りは暗くなりかけていた。蒼国の一同が孫策に宴を勧めたが急な訪問だったとして

丁寧に断って引き上げてきたのである。

孫策はゆっくりと馬を進めながら周瑜に話し掛けた。

「なあ、公瑾。粟津は倫周を愛していたんじゃないかな?」

え?

「いや、何となくそう思っただけだ。」

そう言って孫策は又前を向いたが それなら何で倫周はあんなに怯えた態度をするのだろうと不可思議に思った。

自分の腕の中で倫周は無意識に粟津帝斗を求めてその名を呼ぶ。必ずといっていいほど。

だがいつも何かに怯えている。それはまるで何か恐ろしいものから逃れたいとでもいうように、

びくびくと肩を竦めては怯えた瞳を向けてくる、

孫策が倫周を自らの腕の中に抱くとき、決まってそんな様子が見受けられるのだった。

以前 誰かに抱かれながら怖い目にでもあったのだろうか?それがあの粟津だというわけか?

まだまだ知らない事がたくさんあると思ったがとりあえず精一杯 倫周に接してやろうと、孫策は思ったのである。