蒼の国-氷晶の軍師-
呉国君主、孫堅が所用を済ませて帰館した頃、呉は大国「魏」との争いにいよいよ余念がない事態に

なって来ていた。孫堅の留守も実はこれが主な原因で大国「魏」に対抗する為に隣国「蜀」との同盟を

結んで出陣前の最後の打ち合わせを兼ねて蜀を訪ねたのであった。

決戦の時は目前に迫っていた。



曹操が納める大国「魏」にとってこのときの呉や蜀はまるで小さな存在であった。放っておいたところで

いずれ自国を脅かす存在になるとは到底思えなかったが完璧主義の軍師のあった曹操軍では

今のうちに呉蜀を平定してしまおうとの意向が強くあった為、曹操は半ば取り巻きに押されながら

先ずは呉を叩く為の軍を整えていた。

魏軍にしてみれば楽に進軍できるはずの言わば勝ち戦のはずであった。

それ故、さして意気込まずに進軍してきた魏軍であったがこれを迎え撃つ呉軍の粘り強さに

楽なはずの勝ち戦は少々困難を極めた。

思ったよりも進軍に時間が掛かり、兵力が大幅に減少してしまった結果に曹操は驚きを感じていた。



「大した力を持たぬ雑魚と思うておったが、、、やはりお前たちの意見が正しかったようだな。」

曹操は自身の城でこの戦況を窺いながら軍師たちを集めて苦い顔をして見せた。

意外な程の呉軍の抵抗と応戦はこの軍師たちでさえまさかここまでとは予想がつかなかったようで、

これが曹操を本気にさせた。

曹操はその右腕と讃えられた軍師、郭嘉奉考を傍らに 遠く呉国の方向の空を仰いでいた。



「郭嘉よ、そろそろお遊びは終いにしようではないか?こうなったら少しの出費は覚悟の上よ、

一気に呉を叩いてしまうぞ。お前の案に期待してよいのだな?」

「お任せください、殿。私によい案がございます。既に呉へ向けて軍を向かわせましてございます。」

郭嘉は跪きながら丁寧に礼をした。

郭嘉奉考。魏にその人ありと讃えられし曹操の右腕。

その感の鋭さと感情に流されない冷静さが氷の心を持った男として恐れられていた。

どんな窮地に立たされても私情に流されずに的確な判断をし魏をここまでに導いてきたその姿を

人々は時に冷たいとさえ思った程で、郭嘉の氷の心を溶かすにはたとえ業火を持ってしても儘ならぬだろうと

賞されたくらいであった。

郭嘉はこのとき自身は出陣せずに曹操の城で戦況を見ていたが既に戦略は明確に打ち出してあり、

その指示通り呉には新たなる苦戦がもうそこまで迫っていた。



若い孫策や周瑜の戦略の下、蒼国からの手助けの物資もあってか思いがけずに魏軍を退けることに

成功した呉軍は目前に先刻までとは比べ物にならない程の大軍が迫っているのを確認して

さすがに焦りの色を隠せなかった。

丘ひとつ挟んだ所に堂々と尋常ならない数の幕舎を打ち立てて交戦の構えを見せた魏軍の様は

正に艶やかで壮観というより他なかった。夜襲なり何なり何時でも何処からでもやって来いと言わんばかりの

その対峙は精神面からして呉軍を揺さぶる結果となった。

呉軍ではこの堂々とした陣構えにさてどうしたものかと各部隊長と軍師を集めて会議が開かれていた。





「参りましたね、こう堂々と配置されては、、、さては我々の想像を絶するような裏があるように

思えてならない。これはうかつに動けませんな。余程慎重に致しませんと、、、」

「だがしかし、案外そう思わせておいて目に見えるだけのことしかなかったりするとも考えられる、

ここでこうしているよりはいっそこちらから仕掛けて見るのも手だとは思いませぬか?」

「あの丘下に広がる幕舎を全て潰してしまうのはわけないことですよ。だが本当にそれだけで

済みましょうか?何だか何時ぞやの山賊との対峙を思い出しますね、こう堂々とされたのでは

まるで真意が図りかねる。」

そんな話し合いを遠目に見ながら蒼国のビルがぼそぼそと何やら呟いていた。

「何て面倒くさいことを言っておるか?あんなもの一発お見舞いすりゃあわけないことだと思うがな。」

「一発ってお前、化学兵器は使っちゃいかんって高宮から渋く言われてんだぞ?」

呆れたように京が口を挟んだ。その様子をにこやかに見守りながら帝斗は言った。

「その通りですね、郷に入っては従えということで、、、ここは正攻法で行くしかなさそうですよね。」

落ち着いた様子でそう言う帝斗にビルは半ば残念そうに肩をすぼめて見せた。

「正攻法ってねえ、、何の為に1800年の時を経て此処に来たかわかったもんじゃない。俺はこの歳になって

ちゃんばらごっこするとは思わなかったがなあ、、ああ、一発どか〜んと吹っ飛ばしてみた〜いっ!」

だらけたように背伸びをするビルに潤は激を飛ばすようにしてたしなめた。

「吹っ飛ばすって、、これは人殺しなんですよ!そんな呑気に考えてもらっては困りますよっ!

もっと真剣に取り組んで頂かないと。」

子供のような潤に相変わらずのことを言われてビルはぼやいた。

「人殺しって、、お前一応これは戦争なんだぜ?そんなこと言ってちゃ我々の任務は務まらんさ。

お前戦場行ったこと無いからそんな呑気なこと言ってられんだ!」

「じゃあビルさんは行ったんですか?戦争。」

不思議そうに尋ねる潤に対してぎろりと流し目を送りながらビルは煙草に火を点けた。

「一応ね、湾岸時にゃあ参加しましたよー。ま、バリバリの前線ってわけじゃなかったがねっ!」

苦虫を潰したように言うと肺の奥まで深く吸い込んだ煙を勢いよく吐き出した。

「なあんだぁ、じゃあ文句言わない!やはりここは正攻法でいくべきですよ。」

そう言ってにこにこと微笑って見せた。

「お前ねえ、結局は正攻法ったって人殺しに変わりはないわけよ?そんなにこにこ笑ってっけどよお、

お前の方がわかってんのかって聞きたいぜ、俺は、、、」

「いいんですよ、心構えの問題なんですから。結局は避けて通れないのであっても心構えひとつで

ことの意味は随分違ってくるものなんですよ、僕はいつもそう思って挑んでいます。」

蒼国の一同はこのやりとりをあっけにとられたようにしながら聞いていたが、やがて呉の軍師たちの会議も

大詰めに入ってきた様子に帝斗はその結果を伺いに一同を連れて会議の輪に顔を出すことにした。



「ああ、粟津殿お待ちしておりましたよ。」

軍師たちは帝斗らを快く迎えると一応にまとまったらしい戦略の概要を話し出した。

結局のところ目下に迫る魏軍の大量の幕舎に火をかけて一気に燃やしてしまう方向に話はまとまったが、

その役目を誰がどのようにして担うかで揉めているとのことだった。

先ずは幕舎に火を放ち、相手の動揺を誘いその隙に兵糧を探し出してそこを責め、撤退を余儀なく

させたところで敵将の位置を見極めるというのが大まかな流れのようであったが、しかしまだ深い

裏があった場合に備えての策は立っていないとのことだった。とりあえず相手の出方を探る為に

目に見えるところから打って出ようというのであるらしかった。

概要を聞き終えたところで穏やかに帝斗は話し始めた。

「それならば私共が幕舎に火を仕掛ける役目をさせて頂きましょう。そうすれば多少のことがあっても

皆さんには損傷が少なくて済みます。とりあえず火をかけるだけであれば私共数人いれば十分ですから。

只、馬をお借りしてもよろしいでしょうか?」

「勿論です。そうして頂けるのであれば願ってもないことですが、、、しかしそのような危険を伴います役目を

皆さんに押し付けてしまってよろしいものかと、、、」

少々歳のいった軍師が心配そうに気使ったのを見て帝斗は穏やかに微笑んだ。

「よろしいのですよ、我々はその為に来たのですから。どうぞ安心してお任せください。」

軍師はほっとしたような有難い面持ちをすると帝斗らに深く礼をした。