蒼の国-花火の夜に(遼二と倫周の情事)-
「おお、待ったかあ?」

遼二が少し遅れて「河辺」にやって来た。2人とも着物姿である。何かここに来てから情緒やら風流やらといった、

そんなものがやたらと懐かしく感じられるようになった。

少なくともこの2人はそうであるようだ。

遼二は濃紺の綿の着物、倫周は生成色の絽の着物。

倫周は地面に寝転んで肘を付きながら空の花火を見上げていた。

「なあ、すげえの。こうしてると花火の音が腹に響くぅ〜。なんか気持ちいいぜ。」

絽の着物の汚れるのも気にしないといった感じでばたんばたんと足を動かす倫周の隣りにそっと遼二は腰を下ろした。

「ほんと、すげえ音な。真上で鳴ってやがる。」

そう言って空を見上げた。

「倫、お前、何飲んでるの?」

遼二が訪ねると「ワイン」と答えが返ってきた。

「ワインだあ?お前っ、こういう時はビールかワンカップでしょう、、、?」

少々呆れた感じでそう言うと「それじゃ、オヤジだ!」と返された。

しばらくはそんなたわいのない会話が続いていたが ふっと、それが途切れて花火の音だけが響いてきて。



「倫、お前なんでここに残った?」

ふいに空を見上げながら遼二が問いかけると。

え、、、、?

倫周は不思議そうな顔をして遼二を見上げた。

「だからさ、なんでここに残ったのかって、、、お前さ、覚えてる?ここに残るのを決めた時さ、なんて言ったか。」

そよそよと心地よい風が2人の髪を揺らして。

「さあ、覚えてねえな。」

倫周の答えに遼二はまだ上を見上げながら、

「天国には親父がいるから、、、って。又 親父に叱られんのヤダからって言ったんだよ お前。」

倫周はワインを一口 口に含むと ふぅーん、そうだった?と首を傾げて見せた。

「な、ほんとはさあ、、、」

遼二は何か言いかけたが、しばらく黙ったまま言葉を探しているようだった。



ほんとは、あれだろ?天国にはあいつがいるからだろ?そう あいつが。俺と倫の、いや俺の最も会いたくない男、、、

だからお前はあの時ここに残るって言ってくれたんだろ?本当は倫にとっちゃ天国行きの方が楽だったろうし、

親父さんたちもいるしな。

そう訊きたいのだけれど。うまく言葉が出てこなくて、、、遼二が思い切ったようにして倫周の方を向いた時。



「俺さあ、ドラム、まだドラムやりたかったんだよなあ。」



倫周はまだ肘を付いたまま後ろで足をばたんばたんとさせながらそんなことを言った。

「俺はさ、ドラム好きなの。あれ 叩いてるときはさあ すっげえ気持ちいい。遼のベースとさあ、

剛のギターと、潤の打ち込みが重なってさあ、そんで信一の声がして。そういうのもっとやりたいって

思ったから。このまま出来なくなるの いやだったから。だから 残った。それが一番の理由だな。」

遼二が倫周を見下ろして、その瞳をじっと見つめる。自分の訊きたかった事とあまりに的外れな答えが

返ってきたので不思議そうにしていた、というよりはそのまま時が止まってしまったような感じがした。

それはほんの一瞬であったけれど・・・

少しして遼二は、納得したような感じで「うん、そだな。俺もそうだな、ベース、好きだし。」と言って笑った。

遼二の心の中には幼い頃から一緒に過ごしてきた倫周との様々な出来事がめぐっていた。

天国にいるはずの”2人が一番会いたくない人物”というのもこの2人だけの間の秘め事だった。

倫周は遼二が何を言いたかったのか理解をしているのであろうか、あるいは全くわかっていなかったかも知れないが

遼二にとってはそんなことはもうどちらでもよいことのように感じてられていた。



聞かなくてもいいんだな、倫。ホントの事なんて聞かなくても、よ。俺がそう思ってるから。多分

ホントはそうなのだろうから。これは俺の胸ン中だけにしまっておくな、サンキュー倫、、、



遼二は心の中でそう呟いて元気よく背伸びをした。

なんか 吹っ切れたようで気持ちが軽い!夜風も気持ちいいし。

遼二は首をこきこきと回しながら「ワンカップ」を口にした。





ぱたり、と遼二の太ももに倫周の腕が触れて。

倫周は肘を付いて寝そべっていたが、その手が伸びて頭を重そうに支えていた。

そんな様子に 遼二は慌てて叫んで・・・

「ああっ!倫、お前、飲み過ぎだってよー、そんでなくてもおめえは酒弱えんだからよー!!」

おい!しっかりしろっ!と肩を揺さぶると薄紅色に染まった瞳がぼんやりと漂った。

倫周は自分で起き上がったが、やはりふわふわとしているらしく遼二の肩に顔を預けた。

そよそよと夜風が渡る。川面には空の花火が反射して。倫周の長い茶色の髪が風に吹かれて。

2人の会話がなくなって。遼二はしばらく倫周にその背中を貸していたが。



風が渡る。



遼二の着物の襟をはたはたと揺らしてなびく。倫周がずるり、と遼二の肩から滑り落ちた。

「おい、倫!大丈夫か、、?」

遼二は慌てて・・・

肩をつかんで起こしてやると漂うような瞳が遼二を捉えた。ワインで心地よく酔ったその瞳はとろんと、遼二を見つめていて。

「遼、、、」

小さく、掠れた声が遼二を呼んだ。再び寄りかかる細い身体。



「キスして、、遼、、、」



ばか野郎 そんな声で、そんな瞳で、そんなこと言うなっ、、!

俺だって我慢できなくなっちまう、、、

遼二は両手で倫周の頬を包み込むと、とろとろの瞳を引き寄せてそっと唇に触れた。

溶けるような瞳が遼二を見上げる。

強く射るような視線が倫周を見つめる。

2つの瞳が重なって。

遼、、、

心をきゅっとつかまれたように苦しくなって遼二の胸元に寄りかかる。 倫周が遼二を求めて。

、、、倫、、、!

とたんに熱をもったように身体が熱くなるのを感じる。 遼二が倫周を満たして。

先程までの穏やかなひとときがうそのように熱い渦に呑まれてゆく。遼二は白い首筋から胸元に添って

幾度と無く熱くなった唇を押しあてた。軽く触れては離し、又すぐに唇を這わせては離し、

それらが次第に強く激しさを増してゆき、一箇所ずつ深く吸い込むように求めてゆく。

絽の襟を強引ともいえるように引き剥がしてまるで白い菓子のような肌に薄桃色の花びらを散らしてゆく。

かたん、と側に置いてあったワインのグラスが倒れて。 紅いワインがこぼれた。



、、、倫、、、!



何時からだったか。俺と倫がこんなことをするようになったのは、、、

あれは、デビューしてまだ間もない頃だった、真っ暗な部屋に一人怯えたようになっていた、俺を見つけるとまるで

子供のようにすがり付いて泣いた。あんな倫を見たのは初めてだった、あんな、、、

泣きじゃくりながらも俺を捉えた瞳はこっくりと深い欲望の色を濃くしていて、信じられない言葉を言った。

「抱いて、遼二」

幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた。倫のことは誰よりも身近でお互いよくわかっているつもりだった。

そういった感情が生まれても不思議じゃなかったんだ、ただひとつ、俺達が同性だということを除いては。

「抱いて、遼二!お前は俺のことが嫌い?」

瞳を潤ませて倫は聞いた。その返事がどうであれ俺の気持ちがどうであれ、そんなことは全く目に入っていないようだった。

倫は言葉では俺に打診したが返事を待つつもりなどなかったんだ、こいつの心は俺に抱かれるという行為にしか

向かっていなかった。男同士であるとか、普通じゃないとか、そういった、頭で考えられる全ての事柄が取り払われていて

ただ欲望のままに俺を求めてきた。

衝撃だった。

俺は倫とずっと永い時間を共に過ごしてきて。こいつのことは好きだった、けれど

そういった”好き”とは当然意味合いは別のもので、ただ本当に大事には思っていたんだ、大事な友達だと。

それがあの夜を境に砕けてしまった。鮮やかに、まるで最初からそんな”友情”なんてものは存在していなかったかのように

自然に違う”関係”へと変わってしまった。

何の違和感もないままに。

俺は倫の半ば強引ともいえる行為に押し流されるように自分を失って。倫を抱いた。初めて、

男を抱いた。 でも倫は。

倫は初めてじゃなかったんだ、”男に抱かれる”ってことが。

波が引いて、我に返ったとき、それは現実として重く俺の上に圧し掛かってきた。

自分のしてしまったことがものすごい恐怖のように感じられて、すぐ側にいる倫が何か別の生き物のように思えて、

怖かった。

嫌悪感さえあって、しばらくは倫を見られなかった。

どうしてあんなことになったのだろう、何時からあんなことになったのだろう、倫は何時からあんなことをしていたのだろう。

気がつかなかった。すぐ側に居ながら、いつも側に居ながら全く気付かずに。

男に抱かれていたなんて。倫が、大切な親友以上の奴だった倫が。

やめて欲しかった、そんなこともうこれ以上しているのを見たくなかった、想像もしたくなかった。

だがそれは酷な現実として俺の前に姿を表すようになった。知ってしまったから目に付くようになったのか、

倫は平気だったんだ、相手がどこの誰でも。そんなふうに思えてしまう程安っぽく自分を男達に与えているように見えて。

我慢できなかった。それはただ単に倫のそういった相手が”男”だったからのか、それとも倫がそういった欲望を

持っているということ自体が許せなかったのかはわからないが、とにかく俺は嫌だった。

まるで娼客の相手をするかのように次々と身を任せる倫が許せなくて。信じられなくて。

このままだと俺は倫を見られなくなる、日毎に嫌悪感が増してゆき、倫がものすごく汚いものに思えてくる自分が怖かった。

嫌いになりたくない、こいつは大切な親友なんだ、まともに戻って欲しい、あのときはそれしか考えられなかったんだ。

何故倫がこんなふうになってしまったのかという根本的な部分をすっ飛ばして目の前に迫る嫌悪感を拭い去ることしか

考えていなかったんだ。若かったのか、俺が17歳、倫は18歳になったばかりの、デビューして

夢も希望も限りなかった頃の話だ。

誰かに抱かれずにはいられないのなら、どうしてもやめられないのなら、俺が相手をしようと思った。

いつでも倫の求めるときに俺が満たしてやるから、もう他の誰ともこんなことをするなと俺は云った。

たとえ嫌悪感があっても、普通じゃなくても、自分が相手なら許せると思ったんだ、

倫を嫌いにならずにすむ、そうするしか方法が思い浮かばなかった。



あれからずっと。ずっとこんなふうにして俺は倫を何度この腕に抱いたろう、これ程の俺の思いを

お前はどう思っているのだろう、何も、何も感じてなどいないのか?お前が求めるのは俺の身体。

自分の欲望を満たす俺という道具なのか?いっそ好きになれたらどんなにか楽だろう、そう、

倫に恋をしてしまえたら又違ったものになるのかも知れない。けれど、俺はそれ以上にお前が大切なんだ。

好きとか嫌いとかそんなものじゃ図れない、大切なものなんだ。だから俺はお前を抱く、こうしてお前の求めるときに。

いつだってそうだ。たとえお前がどういう思いでいても、俺はただのお前の道具でもいい。お前が他の奴に身を任せる

あんな姿を見たくないから。

なのに、、、



冷たくさらさらだった白い肌が熱を持ってしっとりと汗ばんでくる。その身体を地面に押し付けて、、、

帯をほどいて。全ての記憶が遠のいて、全ての音が遠のいて、聞こえているのは微かな声。



掠れた声、その声が俺を暴走させる。止まらなくなる、どんどん凶暴になって、引きずり込まれる。

なのに突然腕の中から消える。つかんでいたはずなのに、触れていたはずなのに、腕の中には何も無い。

最後の至福の瞬間に。

決まって俺が聞く言葉、決まってお前が言う言葉。それがいつも俺を引き戻して。

冷めていく俺の感情、熱くなるお前の感情。この瞬間から逃げられない。

いつもいつも同じことの繰り返し。止めたいけれど。又ひとたび火が点いてしまうと。止まらなくなる。

もっともっと凶暴になる。そしてまた。同じ言葉を聞く。いつになったら救われる?いつになったら終わるんだ?

答えろよっ、、、倫、、、!!

俺は又凶暴になって、、、そして又、、

倫が叫ぶ同じ言葉を聴く。

誰かを抱く者にとっての最悪の言葉、俺以外の名前を倫は叫ぶ。

いつも同じ名前、初めてのあの日から唯一つの名を口にする。

お前はそいつを求めているのか?そいつに手が届かないから俺を代わりにしているだけなのか?

そうじゃない、倫にとってそいつ以外なら誰でもいいんだ、誰でも同じなんだ。

たとえ誰の腕に抱かれても倫が求めるのは唯一人。

いつだって俺の腕の中でお前はそいつのことを考えてる、俺をそいつだと思ってる。

俺が倫を見捨てれば、又その代わりが他の誰かになるというだけのことだ。わかってる、酷い話だろう、

それでも、、、

それでもいい。俺は倫が昔のように誰かれ構わずに身を任せる姿なんぞ二度と見たくないんだ。

ただ、あまりに切なくて時々空しくなるだけ。

お前はいつも何かを追いかけてる、なのに逃げたがってる。

お前はいつも俺を求める、なのに満たされない。

どんなことをしてやっても。その熱い欲求に全てを注いでやっても。

お前の求めるもの全て与えてやっても。どうしても埋まらない、埋められない何かがある。

生々しい性欲だけが淡々と吐き捨てられただけのような気がして時折ものすごい罪悪感が襲う。

別に心までも満たされたいなんてそんなこと思ってやしないけれど。

こうして倫と繋がる度にやりきれないけだるさに襲われる。

それでも俺たちはやめられないんだ。

倫を近くに感じると引き込まれるように身体が欲求を増してきて。

同じことを繰り返す。俺とお前といつも、

同じことの繰り返し。







「おい!起きろよ遼二。」

つっけんどんに投げかけられたそんな言葉で遼二は目を覚ました。

隣りにはきちんと居住まいを正した倫周が立っていて、こちらを見下ろしている。

「今日から新しい仕事があるって、高宮に呼ばれてんだぞ。何でもすごい大係りな仕事だとかで。

遅れるとうるせえぞ。俺、先行ってるからな。」

そう言い残すと倫周は すたすたと先に歩き出した。

遼二はまだ開ききらない目をこすりながら起き上がった。

紺色の着物がはだけて。

昨夜の余韻が残る。

「っちぃっ、、、!ポーカーフェイスめ!まったく気取りやがって!」

いつもの事だと思いながらも遼二はいそいそと支度を始めた。

いつもこうである。ほんのちょっと前にはあんなに狂おしく自分を求めて自分の腕の中で乱れていたくせに、

まるで何事もなかったかのような無表情でぶっきらぼうな話し方。

話すのも面倒だというような、いつものあいつに戻っていやがる。

いつもそうなんだ。普段の時のあいつの瞳。どこか遠くを見るような、決して他人を寄せ付けない冷たい雰囲気。

そのくせ ふと見ると遠くを見つめて漂う瞳が切なそうに揺れていて。

その瞳が見ているものは何だ?その瞳が追いかけているものは何だ。

その瞳の中にいつも映っているもの、それはあいつなのか?

本当は苦しいんじゃないか?本当は誰かに縋りたいんじゃないか?だから

いつも冷たい瞳をして、感情を自分の中に押し込めて、誰にも本当の自分を見せない。

本当の自分を見せたらおまえ自身が壊れてしまうから?だからそんな氷のような殻を被って。

自分をごまかしてるんじゃないのか?この腕の中にいる時でさえ、お前は解き放たれない。

お前を自由にしてやりたいのに。お前が心から笑う、そんな笑顔が見たいから、何をしてやっても

でもお前は氷の殻を破らない。

その殻を溶かしてやれるのは誰だ?お前自身か?それとも。

結局、俺には何もしてやれない、只そばにいるだけで。

なあ、倫。それでもいいんなら俺はこれからも側にいる、ずっと側にいるよ、がきの頃からそうだったから。

今も昔もこれからも、、、



支度を終えて遼二は立ち上がった。その顔には揺ぎ無い感じで うっすらと微笑がみえるようだった。