乱火 其の弐
それから2人は無言だった。

緋爛はボートの縁に掴まると、琉に背を向けながらただ黙って川面を見詰めていた。

琉は空模様を気にしながら、それでも言われた通りに船を進めて。

どれくらい経ったのだろう、案の定傾き出した天候は不安な面持ちとなって若い2人を押し包んだ。

風が髪を頬に叩き付ける程強くなって、船は大きく揺れを増し、遂にはポトリポトリと大粒の雨までもが降り出した。



「嫌っ・・・・・・・」



ベシベシと頬を叩き付ける髪が痛い程で緋爛は思わず声を上げた。

「緋爛さまっ、しっかりお掴まりくださいっ、、、、すぐに戻りますからっ、、、、」

琉は風を避けるように大きな声でそう言うと、暑さの為ボートの上に脱ぎ捨てておいた自身の羽織物を

緋爛の頭から被せるように引っ掛けた。

「何するっ・・・・・!?」

「少しの間我慢なされてくださいね緋爛さま。すぐに漕ぎ付けますから、、、、

これ、、、、俺のですけど羽織っていてください。少しは雨避けになる、、、、、」

それだけ言うとすっくと立ち上がりオールを持ち上げて力一杯漕ぎ出した。

叩き付ける雨と痛い程の風に少しの恐怖を感じながらも緋爛はただただ琉の後ろで身体を丸めているしか

出来なかった。





どうやって辿り着いたのかなど思い出せなかった。ぎゅっと瞳を瞑ったまま、或いは気を失ってしまったか

眠り込んでしまったか?

気がつくとそこはボート小屋だった。側には慌しく動く琉の気配を感じて・・・・・・

「琉・・・・・・・・?ここ・・・・・・・?」

「あっ、、、、緋爛さまっ、気がつかれましたか!」

琉は慌てたように緋爛のもとへと駆け寄ると、手にしていた手拭いで濡れた髪を拭いた。

「緋爛さま、具合は如何ですか?」

「ここ・・・・・・・」

「ええ、もう大丈夫です。ボート小屋に帰って来ましたから、、、、、

それよりも着物を、、、、びしょ濡れだ、、、、そのままでは風邪をひきます。これを、、、、」

そう言って差し出された浴衣のようなものがぼうっと目に入って、緋爛は不思議そうに首を傾げた。

「これ・・・・?」

「ああ、、、すみません。小屋の中を探したのですがこれしか無いようでして、、、、

多分昔の見張り役が使用していたものだと思うんですけど。ちょっと埃を被ってますけど着物が乾くまでの

辛抱ですから、、、、早くお着替えになって、、、、」

そう言われて緋爛は初めて自分の濡れた衣服に気がついた。

「ああっ・・・・びっしょりだな・・・・・・雨、すごかったのか?」

「ええ、まだ酷い状態でして、、、、、お邸までは距離もありますしもう少しここで雨宿りをした方が賢明かと。」

ガタガタと扉を叩く風と雨の音を追いながら琉は外の様子を窺っていた。

「そう・・・・・・・・・・ここで雨宿りか・・・・・・」

ふいと声を翳らせた緋爛の唇が蒼紫色にくすんでいるのに気がつくと琉は慌てたように声を掛けた。

「緋爛さまっ、、、、早くお召し物を。お寒くありませんか?」

再度扉をピタリと閉めると力なく投げ出されていた浴衣を手渡した。

「ああ、大丈夫だから。そんなに心配するな。僕だって男だ・・・・・これくらい・・・・・・」

緋爛は半ばうっとうしそうにしながらも濡れた着物に手をやると、雨で重くなった襟をぐいとこじ開けた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!



「気持ち悪いなぁ・・・・・ぐっしょりだよ・・・・・・折角父さまが作ってくださった新しい着物なのに・・・・・」

ぶつぶつと口篭りながら緋爛の脱ぎ捨てた着物の雫を絞りながら手を貸す、身の回りの片付けをしていた琉の瞳に

ふいに飛び込んだ色白の肌が映し出された瞬間に、思わず頬がカッと染まった。

着物を絞る手も思わず止まってしまい・・・・・・・

今まで慌しく動いていた空気が一瞬のうちに止まりしばし静寂が押し包む。

「琉・・・・・・・・?」

突然に硬直してしまったような琉の様子に緋爛はふいと繭をしかめた。

頬を真っ赤に染めて、瞳はぎゅっと閉じながら唇をも噛み締めながら俯いているその様子・・・・・・・

緋爛はハッとしたように開きかけた着物の襟に手をやると、自身も又 同時に染まった頬の熱を隠すように俯いた。

「な・・・んだよ・・・・・・急に黙り込んで・・・・・っ」

「緋爛、、、、さまっ、、、、早く着替えをっ、、、、、」

顔を背けながら着物を差し出す手が僅かに震えを伴っていた。

そんな様子に緋爛の胸もどきどきと高鳴り出して・・・・・・・

瞬時に湧き上がった言いようのない感覚に互いに目を背けながらも差し出された手とそれを受け取ろうとした手が

重なって、2人はビクリとすると驚いたように顔を見合わせた。

「な・・・・・・に・・・・・・・?」

「いいえっ、、、、何もっ、、、、、それより早くお召し物をっ、、、、、風邪をひきますからっ、、、」

熟れる程に頬を染めてぎゅっと瞳を閉じたまま琉の手は未だに震えていた。

緋爛も又、うるさいくらいに鳴り響く心臓の音に戸惑いながらもそんな状態を隠すかのように肩を竦めた。





何・・・・・・・この感覚・・・・・・・・・・・

心臓の音が・・・・・うるさい・・・・・・・・・・

なんでこんなにっ・・・・・・・・・





高鳴る鼓動と真っ赤に染まった頬の熱が恥ずかしく感じられて、どうしようもない感覚に陥っていた。

目の前には逞しい、けれども意外な程に色白の腕が着物を持って震えている。

そんなものを目にして余計に込み上げた掬われるような感覚に身動きさえも儘ならず、どうしようもなくなって

緋爛はそれらを振り払うかのように強がりを口にしてしまった。

「お前っ・・・・・何照れてんだっ・・・・・・・ヘンなこと想像してんじゃないだろうなっ・・・・・・」

「何をっ、、、、、おっしゃいますっ、、、、、私は何もっ、、、、、

そんなことより早く着替えてくださいっ、、、、、でないと風邪をっ、、、、」

顔を背けたまま更に頬を染めた琉の様子が明らかに恥じらいによるものだと感じ取ると、緋爛は自身も又

同じように高鳴っているのが恥ずかしく感じられたのか、それらを押し殺すように更なる強がりの言葉がついて出た。

まるで罵倒するように笑みさえもこぼれ出して・・・・・・・

「お前・・・・・もしかして恥ずかしいのか・・・・・・・?僕の裸見て・・・・・・ねえそうだろ?」

「何を言ってっ、、、、、、」

緋爛はそんな様子にとびきりうれしそうに瞳を細めると、調子付いたように信じ難い言葉を口にした。

「ねえ・・・・琉ー・・・・・・お前さぁ・・・・・いやらしいこととか想像してんだろ?」

まったりと古びたソファに寄り掛かりながら今度はわざと肌を晒すようにそう言った。

「まさかまだそういうケイケンもしたことないとか?」

半分バカにするようにそんな言葉がついて出る。

琉はさすがにカッとなったように顔を持ち上げると抗議の言葉を口にした。

「まだ、、、、って、、、、、何を言ってっ、、、、、ならあなたはご存知だとでも言うんですかっ!?」

食ってかかるように振り返った。