白木蓮 |
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五月の連休に入って待ちに待った約束の日を迎えた。その日は朝から穏やかな陽が降り注ぐ
気持ちのよい日だった。
洸一は午後になって教えられた住所に絢葉を訪ねた。
絢葉の家は都内の閑静な住宅街にあるアールデコ風の造りが目を引くマンションだった。
少々緊張の面持ちで手土産を持って呼び鈴を押すと
「はあーい!今出ます。」
ごん、と勢いよくドアが開けられて。
中から顔を出したのは、、、
咲き誇る大輪の花の如く、陶器のような白い肌が美しい少年。夢にまでみたあの絵の中の少年だった。
洸一は瞬間、ときが止まってしまったように動けなくなった。
それはあの日一瞬で自分の心を虜にしたあの絵の中の少年がすぐそこにいるから? いや、
少年があまりにも美しかったから? それとも少年に会えるこのときを夢見ていたから?
そのすべてだったかも知れない、洸一がものも言わずに呆然と立ち竦んでいると
透き通るような声が聞こえてきて はっと我に返った。
「誰、、?絢の知り合いの人?」
少年は洸一をじっと見つめながら不思議そうな表情をした。
「えっ!?ああ、そう、そうなんだ。実は今日は絢葉さんに呼んでもらってて、、、あの、僕は、、、」
しどろもどろにやっとのことでそう言うと、少年はにっこりと微笑んだ。
「ああ分かった、冬崎さんでしょ?」
得意そうにそう言うと洸一の顔を覗き込んだ。
いきなりすぐ側に寄せられた陶器のような頬にどきりとしながら思わず一歩後ろに引いてしまった。
「そ、そうです。冬崎、、冬崎です。」
「やっぱり!絢から聞いてるよっ、いいよ上がって!」
少年は明るく笑うとぱたぱたと廊下を走って中に入っていった。
その走って行く先にリビングのドアが開いて、
「ああいらっしゃい、お待ちしていましたよ!」
先日見たままの端整な佇まいで絢葉が迎えてくれた。
「絢!」
少年はうれしそうに絢葉の周りに纏わり付きながら洸一の方を振り返っては微笑んだ。
「ほら、ちゃんとご挨拶したのか?」
まるで子供のように絢葉の周りではしゃぐ少年にやさしい瞳が向けられて。
正に中世の物語の中に入り込んでしまったようなそんな感覚に陥る。先日絢葉と会ったときにも
そんなふうに思ったがこうして2人一緒に並ぶとまるでそこだけが少女漫画の世界のように
本当に美しかった。
しばらくぼうっと見とれていた洸一を絢葉はリビングに案内すると明るい午後の日差しの中で
少年を紹介してくれた。
「これが冬崎さんの買って下さった絵のモデルでして浅井木蓮といいます。」
木蓮、、、?
「変わった名前でしょう?花の木蓮と同じ字なんですよ。」
「へえ、、、」
思わずそんな溜息が漏れてしまった。
木蓮、と紹介された少年はまだうれしそうに絢葉の周りに纏わり付いている。先程の薄暗い
玄関で見るよりもやはり陽の下で見ると息を呑む程綺麗だった。
木蓮、その名の如くしっとりとした白い肌、少年のものとは思えないような紅色の唇、
そして見事な程の綸子の髪がふわふわと白い頬を包んで、洸一はしばらくは何も言葉が
出なくなってしまった。
だがその美しさとはうらはらに洸一にはひとつ不思議な感覚が芽生えているのも確かだった。
何が不思議だったのか、それは画廊で一目惚れして買った絵の中の少年は何ていうかもっと
こう、うまく言い表せないのだけれど何か雰囲気が違ったのだった。
木蓮は顔は確かにあの絵の少年に間違いないのだけれど雰囲気が絵とはまるで違って感じられた。
絵の中の少年はもっと艶めかしくて透き通るような雰囲気の、どちらかといったら愛欲的な感を
強く受けるような妖しい雰囲気が漂うものだったからだ。
だからこそショウウィンドウで一目見ただけで引き込まれたのかも知れない。
だが目の前の木蓮にはまるでそんな雰囲気はないようで、
だとしたら余程作家の感性と腕がいいのだな、などと思ったりした。
絢葉は洸一をリビングの来客用の大きなソファーに案内すると甘い香りのクッキーと拘りだという
コーヒーを勧めてくれた。
この広いリビングには今座っている来客用の応接セットの他にもうひとつ大きなソファーと
少しの観葉植物が置かれてある以外は特に家具といった物が見当たらなかった。
代わりにキャンバスやらスケッチブックやらといったものがたくさんあって、
ああここで描いているんだなと思えた。
しばらく一緒にお茶をしながら会話した後で絢葉は木蓮を呼んだ。
木蓮は洸一に紹介だけされるとモデル用に服を着替えに行っていたらしかった。
「じゃあ冬崎さん、ちょっとスケッチしちゃいますね。少しお時間いただくようになりますけど
構いませんか?お暇だったらそこの本でも見ていて下さい。」
絢葉はにっこりとそう言うとスケッチブックを何冊か取り出してきた。
各々に大きさの違うようなものが2〜3冊と鉛筆が束になって置かれている。
洸一は好奇心いっぱいにその様子を見つめていた。
先程までとは違う真剣な目つきが未だ見ぬ世界に自分を引き込んでいくようで洸一は久し振りに
学生のような気分になった。
ふと目をやった先には人形のようなやわらかな服に身を包んだ木蓮が椅子に座っていた。
絢葉は木蓮に歩み寄るとぐいっとその白い頬を持ち上げた。細い首筋を持って木蓮の綸子の髪を
掻きあげる。
「そう、そのまま。そのままじっとして。」
絢葉の透けるような視線が木蓮を射るように見つめて、手元の6Bの鉛筆がスケッチブックの上を走る。
しばらくは鉛筆が紙の上を走る音だけがさらさらと響いて、、、
かたん、とスケッチブックを置くと絢葉は又木蓮に近寄った。
もう次のポーズへ移るのかな、などとそのスケッチの早さに半分感心しながらぼうっとその様子を
視線が追いかけていた。
が、次の瞬間洸一の瞳に信じられない光景が飛び込んできた。洸一はあまりにもびっくりして
口をぽかんと開いたまま瞬きさえも忘れてしまう程だった。
絢葉は木蓮の上着を脱がすと、更に中のシャツのボタンを全部開いた。
しっとりとした陶器のような白い肌が現われて。あまりにも自然にそうされた行為に洸一は視線が
外せないまま硬直してしまった。
冷静に考えてみれば確かに自分の買った絵だって透けるような肌の少年が描かれていたわけだから、
そういったポーズをとらせたとて何ら不思議ではないのだが、やはり目の前でそれを見る衝撃は
想像を遙かに超えたものだった。
そんな洸一の様子などまるで気にならないのか、それともそういったことが日常茶飯事なのか
絢葉は何に憚ることなくどんどんポーズをつけていった。
しばらくして納得がいったのか絢葉が戻ってきて椅子に腰掛けた。先程と同じように真剣な
目つきでスケッチブックに収めてゆく。さらさらと鉛筆の音がして、
だがポーズが気に入らなかったのか、スケッチブックを置くと眉をしかめながら又立ち上がった。
絢葉は ふい、と木蓮の腕をつかみ上げると、又しても信じられないようなことをした。
「あ、、絢、、、?」
木蓮から発せられたその声は洸一にはものも言えぬ程衝撃的だった。
絢葉は木蓮の陶器のような白い胸元に顔を寄せるとそのままそこに唇を這わせた。しっとりとまるで
愛撫でもするかのようにくちつ゛けをし、白い肌の上をなぞるようにくちづけていく。
絢葉の唇が木蓮の胸元の綻んだ花びらに触れた瞬間、、、
「ぁあっ、、絢、、、っ、、」
びくんと身体を仰け反らせ木蓮の少年のものとは思えぬ紅色の口から小さな嬌声が漏れた。
「あっ、、ぁ、、」
とぎれとぎれに溜息のような嬌声が続いて、、、
洸一は頭が変になりそうだった。
いくら芸術の為とはいってもこれでは只の性的行為に他ならない、
洸一の目にはそういうふうにしか映らなかった。
身動き一つ出来ずにその場に固まっていると絢葉の声が響いてきて洸一は はっと我に返った。
「そう、そのまま。いいよ蓮、とっても綺麗だ。お前のその表情、、、そのまま動かないでっ、、!」
そう言うと急いで戻ってきてスケッチブックを取り上げた。絢葉はもうそのまま椅子には腰掛けずに
木蓮の近くに寄ると色々な角度から鉛筆を走らせた。立っては座り、覗き込んでは引いて、さらさらと
鉛筆を走らせてゆく。愛撫の途中で放り出された木蓮の表情は言い表しようの無いくらい淫らで
愛欲に渇した瞳は憂いさえ帯びて見えた。
それこそは正に洸一が買った絵の中の少年の艶めかしい表情だった。
洸一は目の前の様子に身じろぎできなかった。
この2人はいつもこんなことをしているのだろうか?
ふと洸一の心をそんな思いが掠める。
いや、こんなことだけで終わるのだろうか、、
もっと深い、その先の様子までが想像出来るようで洸一はぐっと胸に込み上げてくる嫌な感覚に襲われた。
それは身を裂かれるような熱い感覚、ぞわぞわとした怒りにも似た感覚でそれが嫉妬だと気付くまでに
どの位の時間を要するのだろうか、いずれにしても洸一にとって地獄のような恋の苦しみは
このときはまだほんの序章に過ぎなかった。
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