一夜の章 其の壱 |
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「ここへおいで。何をしている?早く来なさい朱華、、、、」
品のいい仕草でそう手招きをする、見慣れた御簾越しから自分を呼んでいる形のいい指先に
朱華はほんのりと頬を染めた。
今宵は室を訪ねるように・・・・
そう言われて丁寧に湯に浸かり、香までをも焚きしめた踊る心をそのままに、上気した朱華の美しい顔色が
突如として蒼白へと変わった。。
「一夜さま・・・っ・・・・・・!!?」
逸る気持ちで御簾を引き上げ室へと入った瞬間に、あまりの驚きに朱華は黒曜石の瞳を揺らした。
「一夜・・・・・さま・・・・?」
「なんて顔してるんだ朱華。そんな入り口でぼうっとしていないで もっとこっちへ寄るんだ。」
まるで得意そうに僅かな笑みさえ伴いながらそんなことを言われても、しばらくは大きな瞳を見開いたまま
動くことも儘ならず。
心から恋慕う唯ひとりの存在、仕える邸の主 藤林一夜に呼ばれて訪れた彼の私室で−−−−−
夜毎濃密な交わりの約束されたその部屋で、今宵もまた一夜との甘いひとときを過ごすのだと信じていた。
だがそこにはさして広くない御簾の中の空間に、一夜の側用人が数人程低姿勢で控えているのを
確認して、朱華はとっさに言葉さえも発せないまま硬直してしまった。
どうして?
今日はずっと朝まで2人きりで過ごす約束だったのに・・・・・
瞬時に湧き上がった不満が剣を帯びて表れる、だが一夜はそんな朱華の歪んだ顔色に満足そうに
笑みを漏らした。
「なんて顔をしてる。今日はお前の為にとびきりの祝宴を用意してやったというのに?」
「祝宴・・・・・・?」
「そうさ?これ以上無いくらいの極上の宴だ。」
「極上のって・・・・・・」
確かに一夜の前に据えられた数々の酒やら鮮やかそうな馳走は確認出来た。けれども朱華にとって
そんなことはどうでもよく、皆で騒ぐ祝宴など どちらかといえば煩わしいものに他ならなかったのだ。
朱華にとっての一番の望み−−−−−
それは一夜と共に過ごすこと。最も愛し慕う彼に抱かれて抑え切れない程の彼への想いと欲望を解放する、
そんなひとときだけが望みであったのに。
朱華は当然の如くこの一夜の仕打ちに、小さな胸を悔しい思いでいっぱいにしていた。
あてつけだ・・こん・・・なの・・・・・・・・・・・
一夜・・・・・俺があなたなしで居られないのを解っていて・・・・・
何よりもあなたとだけいられるこの時間を望んでいるのを解っているのにわざと俺を苦しめる・・・・・
抱いてくれるのなんか僅かなひとときだけ・・・・
いつもいつも待つのは俺ばかりで苦しい想いを持て余しているというのにっ・・・・・・
朱華は苦虫を噛み潰したような顔で不機嫌そうに一夜のもとへと歩み寄った、だがその瞬間。
突然に腕を捕られ引き寄せられて一夜の胸元へと転がり込んだ。
「一夜さまっ・・・・・!?」
「ふふふふ、、、、ほうら朱華。お前に贈り物だ。何よりだろう? とびきり極上の、、、、」
楽しそうに、だが半分侮蔑するかのように囁かれたその言葉に、戸惑い黒曜石の瞳を揺らした朱華の表情を
窺いながら、だが次の瞬間羽織っていた彼の着物の襟に手を掛けると一気にそれを引き摺り下ろした。
「なっ・・・・・・一夜っ!!? 何っ・・・・・・を・・・・!?」
驚き戸惑い、けれども咄嗟に視界に入った数人の側用人の存在に、朱華は慌てて晒された肌を隠そうと
身を屈めた。
「何を隠すことなどあるものか? この者たちとは既に身体を重ねているんだろう? しかもあろうことか
すべてお前が誘惑したそうじゃないか? 今更気取る必要などない。」
そう言われて朱華は頬を真っ赤に染めた。
それは恥ずかしさでもあり怒りでもある複雑な心中をそのままに、美しい顔を歪ませて、、、、、
「この者たちに抱かれて、、、どうだったんだ? この淫乱な身体が少しは満足したというわけか?
皆の話によればかなりな粗相をしてくれたそうじゃないか? 何度もしつこく求められて
困った者もいたそうだぞ?」
穏やかだかこの上ない罵倒の言葉を繰り返しながら一夜は朱華の両腕を捕ると、
後ろ手に捻り上げて拘束した。
朱華にしてみれば如何に誠とはいえ、このような形で不変の事実を突きつけられようとは心外に等しくもあった。
だが驚愕に歪む憂いた瞳を凍りつかせたのはその直後に放たれた一夜のひとことであった。
「さあ誰でもよいぞ。この美しい桃色の花びらを愛でてやりたい者はいないか?」
薄ら笑いを浮かべながら頭上で吐き出されたそんな言葉に戦慄の思いがよぎった。
「なっ・・・・・・一夜さまっ!? そんなっ・・・・・・・」
咄嗟に拘束から逃れようと身を捩る。
けれども一夜の力は強く、捻り上げられた腕はびくともしなくて朱華は蒼白となった。
自分を側用人に与えようとでもいうのだろうか? 一夜の心中がまるでつかめず、酷い衝撃に言葉さえも
見つけられずに。
「では私にそのお役を頂戴できますでしょうか?」
呆然とする意識の中で耳元を掠めたそんな言葉に朱華は驚いたように瞳を見開いた。
「崇史っ・・・・・・・・」
名乗りを上げたのは側用人の崇史であった。
確かに彼とも蜜欲のときを重ねたことは否めなかったが、丁寧に頭を下げながらもやはり自分を
蔑んでいるような崇史の言葉じりに手痛い思いを噛み締めるだけであった。
「ほう、崇史か? ではこちらへ寄るがいい。 遠慮はいらないから存分に愛でてやっておくれ。」
一夜から飛び出した言葉も信じられず、既に現実と虚空の狭間を彷徨うような朱華の瞳は
驚愕で凍りついていた。
何も考えられずに呆然とするのみで。
けれどもそんな虚ろいのときを一気に破壊したのは崇史によって差し出された衝撃の感覚であった。
「ひぃっあっ・・・・・・・・!」
瞬時に身体中の血が逆流するような感覚に電磁気のように支配され、朱華は思わず悲鳴をあげた。
それは崇史によって施された妖淫の感覚−−−−−
望まない欲望への入り口であった。
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