蒼の国回想編-Dead or Alive/Rip-
「麗っ・・・・お前っ、どうしたんだっ・・その格好・・・」

そう叫んだ瞬間にほんの一瞬俺を捉えた普段は透けるような美しい瞳が深く慟哭を映し出し、

傷付いているのが解った。

そのあまりにも深い哀しみの表情にほんの一瞬、すべてのものが失われるような感覚を覚えた。

酷く嫌な感覚・・・自分が自分でなくなるような、大切な何かをもぎ取られるようなそんな嫌な感覚が

全身を包み込み・・・



「麗っ、、、!」



がっくりと膝をついた汚れ切った身体を抱き上げようとしたその瞬間。

信じられないような力で突き飛ばされて俺は更に戸惑った。

しばらくは動くことも出来なくて。



「ご、、めん、、、悪かった、、よ、、、」

聞き取れないような声でそう言ったかと思うと麗はいきなり立ち上がりすごい勢いでシャワー室へ向かった。

シャワー室から漏れ出した微かな湯気と共に曇りガラスのドア越しに麗のシルエットが僅かに映し出され

るその間、まるで癪に障ったかのように脱ぎ捨てられたぼろぼろの服からは大体何があったかが

想像出来得た。



どっかで喧嘩にでも巻き込まれたんだろうか・・・



当時、日本はバブルの絶頂期だったその頃、アメリカは失業率が増加を辿る情勢の中、決して治安が

いいとは言えなかったこの街でそんなことは日常茶飯事で特に珍しいことでも何でも無かった。

だがそんな俺の浅はかな想像はほんの僅かの時間の後に一気に打ち砕かれてしまうことになる。






シャワーからあがってくるとさすがに汚れは落ちていたものの、色白の肌のあちこちに無数の傷が

広がり、その激しさが窺えるようだった。

俺は別に嫌味を言うつもりは無かったし、こんな環境の中じゃ喧嘩のひとつやふたつ、怒鳴って咎める

ようなもんでも無いと、半ば気軽に思っていたのだったが。

静かに俺が差し出した、ホットレモネードを口にすると麗がぼつりと呟いた。

さっきずたぼろでこの部屋に戻って来てから、それがはっきりと発せられた最初のひと言だった。







「地下鉄で、、、Fuckされそうになった、、、、」







「え・・・・・・・・・?」





「だからぁ、地下鉄でFuckされそうになったってっ、、、さっき、、俺、、、、、」

そこまで言うと麗はいきなり立ち上がり、大袈裟な感じで笑い出した。

「あ、、ははっははっ、、、、ばっかだよなぁ、あいつら、、、、俺を女と間違えたみてぇでよ、、、、

いきなりトイレ連れ込まれたと思ったらさ、寄ってたかってレイプしようとしたんだぜ?この俺を、、、

あはははっ、俺は男だっつうの、、、ばっかじゃねぇのか、あいつら、、、、」

べらべらと息もつかずに大声でそんなことを言ってのけた、麗の透けるように美しい瞳はそんな態度とは

まるで逆に深い動揺の色を映し出していた。深く痛く、息も詰まる程の動揺の色を・・・・





「お前、、Fuckって、、、、」



俺は言葉も出て来なくて。

「だからさ、脱いで見せてやったんだ、俺はオトコだって。だから残念でしたーって。けど、、、、」

そう言ったきり下を向いて、しばらく何も言わなくて。

俯いたままときが止まる。音もときも何もかもが止まってしまったような感覚に陥って。





けど、、、だ、、けど、、、、、





麗は一瞬縋るような瞳を俺に向けると突然に高い声で笑い出した。まるで気が触れたかのように笑って。

「あいつら穴がありゃ何だっていいんだ、はっ、、、ふざけやがってっ、、、俺はDollじゃねえってのっ!」

まるで吐き捨てるようにそう言って窓辺に寄ると大きく片脚を上げて蟹股に脚を広げ、くわえた煙草の

フィルターを噛み切ると口元をひん曲げながらそれを吐き出した。

大きく煙を吸い込んで・・・

そんな様はまるで女優が男役を演じているようで痛々しく、それ程までに自分は男だということを主張して

いるかのようで言葉さえも掛けられなかった。





「、、、で、だいじょぶ、なの、、か、、その、、、」

恐る恐る何かに突き動かされるようにして俺は訊いた。

そんな俺のおどおどとした態度に一瞬笑みを浮かべるとわざと明るい感じで麗は言った。

「ばぁか、相手を誰だと思ってんだって!俺を犯ろうなんて百年早ぇってぇのっ!

勿論、全員釈迦寸前までにしてやたよ、あ、、、そうだ、ホントに釈迦になっちまったのも居るかも、、てなっ!」

あははははっ、、、

「ふっん、、、この街じゃそんなことも珍しくねぇってよ、、、明日になればこんなヤな思いともおさらばさ、、、」

俯いて、呟くようにそう言った、彼の佇む窓辺の下にはオニキスのような街の風景が広がっていて。

雨上がりのビルの谷間の。それはきらきらと目眩を誘う程のネオンを反射して、だが賑やかなその光とは

うらはらに深く吸い込まれそうな程の静かな闇色が時折全神経を引っ張り込むような不思議な感覚。

地面を背にして高いビルの上から落下していくような不安定な闇色の街が広がっていた。





「悪かったな、やーなコト聞かせちまってよ。も、大ジョブだからさっ、、、、」

明るく微笑みまで見せてそれだけ言うと麗は自分の寝室へ引っ込んで行った。

俺に背中を向けたまま、軽く手まで振って見せたりして。

そんな麗が痛々しくて仕方なかった。わざと明るく言われた言葉の陰で僅かに震える肩を見せまいと

手を振った、そんなふうに思えてしまって。

結局何もしてやれず。何の言葉も掛けてやれないまま重たい気持ちで床についたがしばらくは

寝付けるはずもなかった。いつまでたっても眠りには落ちられず明け方になってうつらうつらとし始めた

俺の全神経を尖らせたもの。

それは蒼い闇の中でうずくまりながらすすり泣く、麗の小さな声だった。






もう明け方の蒼白い闇の中で小さく小さくうずくまりながら麗は泣いていた。

声を殺して肩を震わせて独りっきりで泣いていた。






麗・・・



声を掛けようと思った。扉も仕切りもない麗の寝室の入り口まで行って、なのにどうしても

出来なかった。声を掛けられなかった。

たったひと言の「どうした?」という簡単な言葉が俺には出てこなかったんだ。

声を掛ければ壊れてしまいそうな、消え入るようなそのすすり泣きが痛くって。

そのまま自分のベッドへ引き返し、まだ聞こえてくる小さな泣き声に当然眠りになんか入れるはずもなかった。