目   眩
「ね、なぐさめてよ・・・お願い・・・

俺のこと嫌いじゃないならさ・・・?気持ちよくさしてあげるし・・・

それともオトコは嫌い?」



くったりとうなだれ掛かるように頬を寄せながらそんなことを繰り返し言っている。

大きな瞳は憂い、媚び、そしてとろけながらも実際には何も映していないといったふうに

ぼんやりと空を漂っていた。

冷たく細い指先が首筋を撫で、唇に這わされて・・・



「ね・・・フェラしてあげるから・・・脱いで・・・・・・」



ふらふらと身体中を撫でていた指先がズボンのファスナーの上で弧を描き、漂っていた視線がそこで留まって---

細い絹糸のような髪がはらりと動けば色白のうなじが視神経を刺激した。







どくどくと逆流するかのような血脈が理性に逆らって身体中を駆け巡る、

西陽の差し込む古アパートの隣りの住人、まるで女と見紛うような柊倫周の部屋で一之宮紫月は

眼下に差し出された抗えない嘱望の恐ろしさに戸惑い揺れていた。







ほんの壁一枚を挟んで何もかもが筒抜けの古びたこの部屋に越して来たのはほんのひと月前のことだ。

殆んど住人の無いこのアパートで、たまたま隣りになった倫周に挨拶に来たその日から紫月の心は

無情なる欲望でいっぱいになっていた。



人形のような表情の無い大きな瞳が印象的なその彼の、えもいわれぬ魅力にとり憑かれたその日。



引越しの挨拶の品を持ってこの部屋の扉を叩いたその時は、整い過ぎた美しさに目を見張ったのを

覚えている。だが互いに男同士だったということもあって紫月は内心ホッと苦笑いをしたのだった。





---ああ、よかった、、あれが女だったら毎晩悶えちまう、、、、つくりは綺麗でも男でよかったぜ





そんなことを思って胸を撫で下ろしたのも束の間、紫月の安堵感を引っくり返すようなその出来事は

さして日を待たずして訪れたのだった。

何をしているどんな人物なのだろうと、それでも邪念が浮かばないわけではなかった倫周への感情を

煽り立て、歪ませたその出来事は、うだるような夏の暑い夜に起こった。

誰かがガタガタと扉を開けて入り込む、そんな音を筒抜けの壁の向こうに聞きながら紫月は無意識に

耳をひそめた。

それは信じ難い出来事---

聞えて来る会話と、バタバタと床を這う効果音も鮮明に、それらからして隣りの部屋で何が行われて

いるのかは容易に把握出来得た。








「帝斗っ・・・・・・帝・・・っ・・・・・・あっ・・・・・・は・・・っ・・・・・・」

「そんなにいいのか?ふん、淫売が、、、いくら与えてやっても満足なんかしやしない。

ココももうこんなに濡らして?気違いめっ!」

「あ・・・っ・・・ぁー・・・帝斗・・・・・・て・・・い・・・・・・っ」

隣室を頻繁に訪ねて来る一人の男の存在は知っていたし、廊下ですれ違い様に挨拶だってしたことがある。

見たところ端整な落ち着いた紳士といった印象があったが、この男と倫周との間には想像し難いような

関係にあるのだと確信したのはその晩のことだった。

まるでお義理の仕切りのような薄っぺらい一枚の壁の向こう側からは話し声からその内容までもが

鮮明に聞き取れる程で、目にしなくても容易に情景が想像し得た。

溜息交じりの嬌声、乱れた寝具の擦れる音、床を這い引っ掻くような爪音、そして汗が噴出した肌と肌が

擦れ合う音までが鮮明で、それらからするならば隣りの部屋で何が行われているかは一目瞭然であった。

「・・・んっ・・・・・・帝斗っ・・・・・・やめて・・・ぁー・・・・・・っ」

「うるせー。こんなふうにして幾人の男たちを騙くらかして来たんだ?

こうやって身体を与えて、金をせびって、タチの悪い淫売だぜ。

遼二のことだって、、、どうやって引っ掛けたのか知らねーけどー、やっぱり金貰ってたんだろう?

こうやって身体を差し出して、好きにさせて?

なあ倫、遼二にはどんなふうに抱かれてたんだ?やっぱりこんなふうに悶えてたのか?

こんなふうにいやらしい声出して?腰振って求めてたのか?

言ってみろよ倫周」

ギシギシと床のしなる一定のリズムと共に荒く逸った吐息が渦巻いているその様子に、紫月は思わず耳を塞いだ。

どくどくと音が聞こえそうな程、血脈が身体中を駆け巡っているのを認識出来る程で、たまらない感情に

夏の暑い夜だというのに布団の中に潜り込んではそれらの音をシャトアウトしようと必死になった。

思うことはただひとつ。





---オトコに身体を売っているというのか?





会話の内容からしてもこの男との関係だけでは無いらしいことが窺える。

毎日ふらふらとしていて何処へ出掛けることもなく、どうやって生活しているのかは気になっていたけれど、

まさか身売りをしているなどとは思いも寄らなかったし、ましてやその相手が同性だなどとは

自分の見解の中では想像さえも出来得ないような未知の出来事だった。



もしかしたら隣り同士親しく付き合っていけるかも知れない。

無意識にそんな望みを想像しては何だかうれしく心躍る毎日を送っていたというのに・・・

紫月は倫周の乱れた生活に口出しすることも出来ないまま、月日は飛ぶように過ぎて行った。





あんなこと・・・やめさせなきゃいけない---





幾度そう思ったことだろう?

男が帰った後に突然訪れる奇妙な静寂の中で湧き上がる言いようもない感覚にさいなまれる。



隣りの部屋を訪ねて、

こんなこともうやめろと注意をしたら、

それから、、、

それから、、、



紫月は自分がどうしたいのかまるで解らないでいた。

確かに頻繁に聞えて来る淫らな交わりを想像させる音や声は隣人にとってはこの上ない迷惑な

ものに他ならないし、だとしたら抗議をする権利は充分にあるわけで、けれども紫月には

どうしてもそれらに踏み切れない感情があった。

それは嫌な感覚---

倫周を訪ねて彼に文句や注意を促したいのは、もしかしたら自分は倫周に会いたいだけでは

ないのか?という疑心だった。

淫らな息使いと嬌声が男が帰った後も耳から離れずに、その表情までもが瞳に焼き付いてくるかのようで

何度眠れぬ夜を過ごしたことだろう?

たった2度だが、我慢出来ずに自身の欲望を解放したことだってある。

声が、

音が、

表情が、

纏わり付いて眠れずに無意識に行ってしまったマスターベーション、

紫月はそんな自分が怖かった。

自分は同性に魅かれてしまったのではないかという不安が全身を押し包み・・・








初めて会ったときからそんな感覚が無かったわけではない。

その整い過ぎた美しさに彼を見た瞬間に全身を貫かれるような思いに駆られたことを思い出す。

女でなくてよかったと苦笑いを漏らしたっけ。

毎夜気になって眠れないだろうからと、そんなふうにも思ったっけ。

この美しい顔をした倫周は女ではないのに、

それ以上に興奮している自分に気付く。

男であるとか女だとかなど関係なくて、

何時か強引に隣りの扉をこじ開けてあの細い身体を奪ってしまいそうな感覚に足元が竦むような

恐怖感が全身を覆い尽くしていた。





---めちゃめちゃにしてみたい





いつもの男がしているように彼をこの腕に抱いて、罵倒して、、、

そうされて抵抗し、嫌悪感と苦痛にあの美しい眉を顰めるのを見てみたい、、、

嫌がる彼のすべてを剥いで自分のものにしてみたい、、、!

そんな感情が膨れ上がってきて・・・

だが紫月は元々知性のある穏やかな性質だった為、そんなことを行動に移せるはずもなく、

それ故に苦しい思いを抱えていた。





---いつ、何をしてしまうかわからない自分が怖い





もしかしたら自身の理性の届かないところで彼を襲ってしまうのではないか?

近頃はそんな不安に全身を支配され、苦悩の日々が続いていたのだ。

だがそんな不安を触発するような出来事は突然に降って湧いたように起こったのだった。

頃は初秋の風が肌に心地よいその季節---

あれ程頻繁だった男の訪問がぴたりと止んだのである。

突然に訪れた静か過ぎる平穏さに紫月は又違った意味で奇妙な嫌悪感に駆られていた。





一体どうしたというのだろう?





隣人として世間一般的に考えてみても、こうした場合は様子を窺うくらいのことはした方がよいのではないか?

そんな正当な理由にこじつけるかのようにして叩いた扉の向こうに、信じ難いような光景が

飛び込んで来て紫月は呆然とその場に立ち尽くしてしまった。

傾き出した西陽の差し込むその部屋で、素肌に撚れたシャツを一枚引っ掛けただけの格好で

窓辺に寄り掛かっている彼の姿が瞳に映り、それは決して普通の状態ではないのだけれど

だがあまりの美しさにまるでそこだけが切り取られた別の空間のようにも感じられて、しばらくは

立ち尽くしたまま声も掛けられずにいた。

扉の開かれた音に反応した彼の瞳が動いた瞬間から記憶が途絶え、

気が付くと彼の部屋に上がり込んでいて、

しかも目の前で起こっている出来事などあまりに突飛過ぎてすぐには信じられるはずもなかった。








「ねえ俺のことが嫌い・・・・・・?

いいよ・・・別に好きになってなんて言わないさ・・・

けど・・・だけど・・・・・・

嫌いじゃないなら・・・・・・抱いてくれない・・・・・・?

なぐさめて欲しいんだ・・・・・・」

自分の胸元に寄り掛かり、大きな瞳を潤ませてそんなことを言う彼が信じられなかった。

紫月は無意識に今までの感情をぶつけるように疑問の言葉を口にした。

「なぐさめて、、、って、、、、、、

君には訪ねて来る人があったじゃないかっ、あの人とも、、、

そんなことしてたんだろう?なのに何で急に俺なんかにっ、、、」

言葉を詰まらせながらようやくと口にした疑問でさえ、これから自分が目の前の存在を奪う為の言い訳のようにも

思えて、紫月はそんな自分に深い嫌悪感を覚えると共に一瞬にして現れた別の自分に胸が躍るような感覚に

囚われた。



もしも頻繁にこの部屋を訪ねていた”あの男”の存在が失くなったのだとしたら、、、?



そう、もしかして自分には誰に憚らずにこの倫周を我がものに出来る権利が生まれるかもしれない、、、

この美しい彼を抱いて、剥いで、めちゃめちゃにしてみたいという欲望が現実になるかも知れない、、、

そんな想いが全神経を興奮させていた。

だがそんな激情を押し殺すかのように、慎重に慎重に正当な理由を探している自分がいるのも

哀れな事実であった。

それは言わば紫月のような生真面目な人間の、自己の中の2つの別の存在をひとつにする為に

必要不可欠な戸惑いの時間だった。

そんな様子が歯がゆく感じられたのだろうか、紫月とは全く別の、本能のままに行動が伴う性質の

倫周にとっては複雑な戸惑いが理解出来るはずもなく半分じれったそうに紫月の服に手を延ばしながら

寄り掛かっていた。

するするとシャツの間に器用に指先を滑り込ませながらとろけた瞳で紫月を見上げる。





「帝斗がね、帰って来てくれないんだ・・・・・・もう2週間にもなるのに・・・・・・ねえ、どうしてだと思う?

俺のこと・・・嫌いになっちゃったのかな・・・・・・?」



「帰って来ないって、、、帝斗さん、、、が?」



「そう、大好きだったのに・・・・・・俺は本当に愛していたのに・・・・・・」



「---愛してた?」



「そう・・・それにね・・・・・・帝斗がいないと困るんだ。

生活出来ない・・・・・・お金も貰えない・・・・・・何よりも・・・・・・

辛いんだよ・・・・・・

身体が・・・辛くて・・・・・・」



「辛いって、、、何で、、、?」



「だって独りじゃ気持ちよくなれないんだ・・・・・・」



「気持ちよく、、、って、、、君何言って、、、」



「帝斗が来てくれないから何度も独りでオナニーしたけど・・・だめ・・・なんだ・・・・・・

独りじゃ気持ちよくない・・・・・・思いっきりイケない・・・・・・

だから・・・っ・・・・・・」





信じられないようなその言葉に呆然としている紫月に、媚びるように更にくったりと甘え寄り掛かると

やはり信じられないような言葉を後に続けた。

「だから・・・なぐさめてよ・・・・・・紫月さん・・・だっけ?

俺のこと嫌いじゃないなら・・・・・・ちょっと付き合って。

あなたにも・・・気持ちよくさしてあげるから。・・・・・・ね?ちょっとだけでいいんだ・・・・・・

抱いてよ・・・・・・」





「だっ、、、!?抱いて、、、って、、、」





「ねえ・・・フェラしてあげるから・・・・・・脱いで。

俺けっこううまいんだよ?帝斗も遼二も皆んな気持ちイイって言ってくれた・・・・・・だから・・・・・・

紫月さんもきっと気持ちいいはずだから・・・・・・ね?」



「皆んなって、、、!一体君はどんな生活して来たっていうんだっ、、、!」



「そんなこと・・・どうでもいいよ・・・・・・

そんなことより・・・一緒に気持ちイイことしようよ・・・・・・」

かちゃかちゃと逸るようにベルトをこじ開けてファスナーを引き下ろし倫周は顔を埋めた。





「あ・・・はは・・・・・紫月さん・・・・・・もうソノ気になってるー・・・・・・

何だ、よかったー・・・・・・俺ホントに嫌がってんのかと思った・・・・・・」



「何言ってっ、、、!」



「いいよ恥ずかしがらなくてもさ?もっと気持ちよくしてあげるから・・・・・・

わあ、紫月さん・・・大きいんだー・・・・・・すごく立派・・・・・・」





そんなことを言いながら自身の熱いものにしがみ付かれて、瞬時に湧き上がった感情に、

紫月はきゅっと瞳を顰めた。

「よせっ、、、!バカっ------!」

「うそ・・・・・こっちは気持ちイイって言ってるよ?いい加減・・・・・・気取ってないで

素直になりなよ・・・・・あなただって隣りで俺と帝斗と寝てんの知ってたんでしょ?だったら・・・・・・

一回くらいは俺のこと抱いてみたいとかも思ったんじゃない?」

くすりと笑いと共に飛び出したそんな言葉に今まで抑えてきた理性が一瞬にして吹き飛んだ。

そうして同時に湧き上がった言いようのない激情に翻弄されていくのに時間は掛からなかった。

カッと燃え上がる火の如く、恥ずかしさとも残酷さとも言えない奇妙な感情が全身を押し包み---



気付くと紫月は倫周を床に叩きつけ、組み敷いていた。



「ふざけんなっ、、、!この淫乱野郎っ、、、誰がお前なんかとっ、、、!」



「紫っ・・・紫月さ・・・!!?」



「そんなに犯って欲しいんなら望み通りにしてやるからっ、、、ほらーっ、、、

お前こそ気取ってねーで早く脱げよっ!」



軽く羽織っていただけの撚れたシャツを引き剥がし、絹糸のような髪を掴み上げ引き摺りまわす---

そうする度に悲鳴を上げながら懇願する美しい隣人の姿に紫月の心は完全に崩壊してしまったかの

ように別人と化していた。





嫌がる彼を押さえ付け、引き剥がし、罵倒して、奪いたい、、、、、、っ!





そんな欲望が今まさに目の前に存在し、進行する。

「やめてっ・・・!ねえっ・・・待ってよ・・・・・・待っ・・・・・・!」

床を這い摺り逃げる細い身体が、乱れた長い髪の毛が、苦痛に歪む大きな瞳が、

夢だったすべての欲望が現実となって---





「そんなにいいのか?ふっ、、、ん、淫売が、、、!いくら与えてやっても満足なんかしやしない!

ココも、、、もうこんなに濡らして?気違いめっ、、、!」





あの日の帝斗の言葉が蘇る。

壁伝いに聞いた男の言葉が、妄想と共に鮮明に浮かび上がって---

ふと瞳をやった窓ガラスに反射した自分の顔が、あの日の男(帝斗)の顔に見えたのは幻か?

そこには理性もやさしさの欠片もない野獣のような男の表情が映り込んでいた。








                                              〜FIN〜