乱火 其の七 |
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「違うんだ琉っ・・・・・!あれは僕がっ・・・・・・・・・」
緋爛は大声でそう叫んでから、恥ずかしそうに下を向くと更に頬を染めながら彼も又、自身の本心を
細々とした声で話し始めたのだった。
「琉・・・あれはお前が悪いんじゃないよ・・・僕が・・・ヘンなこと言って・・・お前を挑発するようなこと言って・・・・
だから・・・・・お前は悪くない・・・・
悪いのは僕なんだから・・・・」
「緋爛さまっ、、、、、」
「それに・・・・・本当はああなることを望んでいたのかも知れない・・・・・
僕は・・・気付かなかったけれどお前のことが・・・・・ずっと・・・・
気付かない振りをしてきたけれど・・・・本当はお前のことを・・・・・・・・・」
一気に覚悟を決めたようにそこまで言って、だがさすがにそこから先は言葉にならずに緋爛は
もじもじと口篭ってしまった。
そんな態度からは云わずともその心の中がありありと伝わってくるようで、琉はたまらずに目の前で
震えている肩を抱き締めようと手を伸ばした。
が、それより僅かに早く緋爛の方からくいと顔を上げ、一瞬ビクリとしたまま真っ直ぐに見つめられて
琉はその場に硬直してしまった。伸ばしかけた手も空に浮いたままときが止まったようになり・・・
そして信じられないような言葉が緋爛の口から発せられたのが夢幻のように耳を掠めていった。
「ごめんね琉・・・・・僕だってそうなんだ・・・・・
僕だってお前のことを考えながら・・・・いやらしいこと・・・した・・・・・・・眠る前に・・・・
何度も・・・した・・・・・・・
自分で・・・弄って・・・・自分で・・・・・・・・・・だから・・・・汚いのは僕の方なんだ・・・・
悪いのは・・・全部僕の方・・・・・」
「緋爛さま、、、、、、、、」
そう言いながら緋爛の瞳からは自然と涙が溢れ出していた。まるで懺悔でもするようにそんなことを
言ってしまった自分を後悔したわけではない、けれども恥ずかしさと胸を締め付けるような苦しさとが
混じり合った複雑な思いで若い彼の心は溢れ返っていて、緋爛はその場に立っているだけでも
精一杯であったのだ。
そんな苦しさを少しでも軽減しようと瞳からは大粒の涙が零れて止まなかったのであろう、
泣くという行為で少しでも自分を楽にしたかったのかも知れない・・・・・・・・
琉はたまらずにそんな緋爛の細い肩を抱き寄せると、そのままそっと髪の毛に唇を寄せてくちづけをした。
まるで愛しむように大切に大切にくちづけて。
「琉・・・・・・・僕のこと・・・・・許してくれるか?
お前に散々我が侭を言ってきた僕のこと・・・・・・・・嫌いじゃない・・・・・?」
「許すだなんてっ、、、、、嫌いだなんて、、、、、、そんなこと、、、、
緋爛さま、、、俺の方こそ、、、、、っ」
「本当に・・・・・嫌いじゃない・・・・・? 本当に許してくれる?
だったら・・・・・・もしも嫌いじゃないのだったら・・・・・・・・・・・僕を・・・・・・」
そう言いながらくいと恥ずかしそうに見上げた瞳が潤みながらもとろけているのを確認すると、
琉はもう我慢出来ずにぎゅっと緋爛の身体を抱き寄せた。
強く強く抱き寄せて・・・・・・
「緋爛さま、、、、」
ガタリと錆び付いた小屋の扉を開けると、逸る心とは裏腹に足取りにはまだ幾分の迷いが捨て切れずに
2人はよろよろと薄暗い小屋の中へと入って行った。
月明かりが僅かに互いを映し出す−−−−−
戸惑いながらも再びどちらからともなく唇が寄せられ、重なり合う感覚が瞼を震わせた。
やさしく気使うように、やわらかに包み込むように、震える指先が着物を取り去り色白の肌を露にしてゆく・・・・・
未だ僅かな罪悪感を残しながらも琉の唇が月映に浮かんだ胸元の花びらを撫でた瞬間に若き2人を
電流のような衝撃が押し包んだ。
瞬時に湧き上がる欲望の波は抑えようなどあるはずも無かった。まるで獣のように
目の前の互いの存在を求め合い、奪い合って。
初めての経験だった
誰に教えられたわけじゃない
何をどうするのかなど はっきりと知っていたわけでもない
けれども若い2人にとってはそんなことは何の障害にもなり得はしなかった。
むしろそんなことに長けた大人よりもこのときの彼らは充分過ぎる程その瞬間の幸せを感じ合っていたに
違いないだろう。
−−−◇−−−−−◇−−−−−◇−−−−−◇−−−−−◇−−−−−◇−−−−−◇−−−
そよそよと心地好く秋風が渡る・・・・・・
自室の窓辺に腰掛けながら緋爛は色褪せた一枚の写真を見つめていた。
しっかりと大切そうに縁の中に納められたその写真・・・・・・
まだ幼さが残る面影の、それは遠い日の自身の姿であった。そしてその側で寄り添うように、けれども
表情だけは硬く、まるで籠った想いを内に秘めんとしているような意思のある瞳をした男の姿・・・・・
若き日に撮られた一枚の写真を、瞳を細めながら緋爛は見つめていた。
「懐かしいな・・・琉・・・・・・
あれからもう何年経ったんだろう・・・・・・
10年・・・・・・・? 11年・・・・・だっけ?
永かったよ・・・・僕にとっては地獄のようだった・・・・」
ぽつりと伏目がちに、写真に向かって話し掛けるように緋欄は呟いた。
お前と会えなかったこの10年の日々が・・・・
何よりも辛いものに感じられてどうしようもなかった・・・・
こんなに苦しい思いをしなければならないのだったらいっそ死んでしまいたいとさえ思ったこともあったよ・・・・
お前と初めて心も身体も結び合えたあの直後から・・・・離れて生きなければならなくなってしまった僕らの運命を
何度恨みに思ったか知れない・・・・・
唯一の支えはお前のくれたこの手紙と・・・・・そして最後の日に一緒に撮ったこの写真・・・・・
互いに交し合ったこの手紙の束が辛かった日々にどれ程の支えになってくれたことか・・・・・
けれどやっぱり逢えないのが寂しくて・・・・
苦しくて辛くて仕方なくて・・・・・何度泣いたことだろう・・・・・
お前もそうだった・・・・・?
お前も辛かった・・・・・?
僕と会えなかったこの10年の日々を・・・・・お前はどんなふうに過ごしてきたのだろう・・・・?
お前は現在(いま)もこの頃のままか?
正義感が強くて頑なで・・・・一途で・・・・・・・・
ふふふふ・・・・・・髪もこんな感じ?背は相変わらず僕よりも高いのだろう?
会ってもすぐには分からなかったりして・・・・・な?
僕も・・・・・変わったのだろうか・・・・・・・・
お前は僕を見たらすぐに分かってくれるだろうか・・・・・・?
僕は・・・・・・・・・
「あの頃よりは少しは大人になれただろうか・・・・・・ねえ・・・琉?
あのボート小屋はもう無いんだよ・・・・・
僕たちの想い出のボート小屋・・・・・・もう古いからって取り壊されてしまったんだ・・・・
初めてお前と結ばれた日の・・・・・あの・・・・・・・ボート小屋・・・・・・」
緋爛は少し寂しそうに瞳を翳らせると、ふいと窓辺にもたれながら遠い日のことを思い返すように軽く瞼を閉じた。
あの日・・・・もしも幸せという言葉があるならば、それはこういうことを言うのだろうと思った。
琉の腕の中で僕は本能の求めるままに自分を解放しそれまでの閉じ篭った想いをも
すべてを差し出すことが出来て、
男同士であるとか使用人だとか、そんなことはどうでもよかった。
あのときの僕たちは確かに幸せの只中にいたんだ。
これから先、年月が流れて僕たちも歳を重ねて、そうして互いに大人になるという現実のことなどまでは
考えられるはずもなかった・・・・・
素直になれた自分がひどく楽で幸せで。
だってあの夜は僕が生きてきた人生の中でこの上なく満たされた瞬間だったのだから。
何不自由のない生活の中で、それでも心の中にぽっかりと空いていた何かが埋まるように心地好かった夜・・・・・・
誰かを好きになるってこういうことなんだと思えた。
時おり感じていた孤独感や不安感が払拭されたように気持ちは穏やかで幸せで・・・・・・・
素直になるということがこれ程までに安息を運んでくれるものだとは思わなかった・・・・・
初めての・・・・・ボート小屋での・・・・・
お前とのとき・・・・・・・
そんな甘やかなことを考えながら僕は琉の腕の中で至福に浸っていたんだ。
今にして思えばあの頃が永き人生の中で一番幸せだったといえるだろうか?
琉に冷たくして当り散らしていたあの頃、そして初めて素直になれたあの夜が僕にとって至福の年月であったと、
そう言っても決して過言では無いのだろう・・・・・
これから訪れる『大人になる』という現実が、どれくらい酷で苦い思いを伴うのかなど考えもしなかった若き日・・・
只ひたすらに、想うが儘に自分に素直でいられたあの頃のことを決して忘れることは無いだろう・・・・
僕の人生の中で最も甘やかに輝いていたあの若き日のことを−−−−−−
もしもこれから先の永き道のり(人生)の中で、たとえどんな運命が待っていようとも、
揺るぎない誇りとしてあの頃の出来事は僕を支え続けてくれるだろうか?
琉−−−−−
我が人生に於いて最愛のひとの名
僕の生きた証
あなたに出逢って素直になれて、あなたを愛せたことが何よりの幸せだと思う
生まれてきたことを深く感謝したいとさえ思った
琉−−−−−
あなたに逢って僕は自分が生きているということの意味を見出すことが出来たのだから
ふと肌を撫でた初秋の風が遠い日の記憶を掠めて緋爛はハッと我に返ると腰掛けていた窓の外へと目をやった。
そうして遠くの門から続く道のりをゆっくりとこちらに向かって来る唯一人の存在を確認すると、
キリリとした青年へと成長した緋爛の瞳がやわらかに細められ、やがて笑みが漏れ出して・・・・・
午後の日差しを遮るように翳された腕時計が陽に反射して、眩しさがほんの一瞬瞳を掠める、
窓の下で穏やかにこちらを見上げている懐かしい笑顔に微笑み返したと同時に既に潤み出していた熱い雫が
頬を伝わった。
「永かった・・・・・・・!」
緋欄はくいとそれを指先で拭うと再び窓の下でこちらを見上げている人物に微笑み返し、
そうして手にしていた写真立てを静かに伏せると この世で一番大切な言葉を彼へと投げ掛けた。
数え切れない言葉の数々の中で何よりも大切なそのひと言−−−−−
愛するひとの名前を緋欄は叫んだのだった。
「琉っ−−−−−!」
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